不思議な霊験
令和5年8月15日
あさか大師では毎日、お護摩が奉修されますが、人気があるのが〈護摩木祈願〉です。お護摩の浄炎に投じて祈願されますが、不思議な霊験が絶えません。特に〈願いおき護摩木〉といって、5日間~30日間祈願する護摩木にも特徴があり、全国から多数寄せられます。遠方の皆さんは、祈願日を指定してお申し込みください(写真)。
私がおすすめしていることは、「護摩木は具体的に!」ということです。単に〈病気平癒〉だけではなく、〈〇〇病平癒〉〈〇〇手術成功〉〈高熱降下〉〈血圧正常〉〈食欲増進〉といったように、細かく書くようにお話をしています。護摩木を投じると、私は汗だくになりますが、このパワーが堂内に遍満して不思議な霊験が成就するのです。初めての方でも、お越しになればわかります。毎日続けなければ、このようなパワーは生れません(写真)。
護摩木祈願と先祖供養は、車の両輪です。いずれが欠けてもいけません。この世の力と、あの世の力です。私たちは実は、この世とあの世を共に生きています。お大師さまはあの世の方ですが、この世にもいらっしゃるので「同行二人」といいます。そして、皆さんも亡くなった方の〝気配〟を感じることがあるはずです。あの世の方も、皆さんと共に生きているからです。このことを忘れてはなりません。
お護摩は毎日11時半からです。護摩木は一本200円ですから、どなたでもご負担なく申し込むことができます。具体的に書くのですよ、皆さん。
祈願を込める護摩木
令和5年6月14日
先日のブログで、私は「運命改善への先祖供養」を書きました。そして、運命を変えるには先祖供養を毎日続けることと、お導師とご信徒が一体となって実修することの大切さを書きました。このことは祈願においても同じです。あさか大師では毎日、厄除弘法大師(お大師さま)の前で私がお護摩を実修しています(下写真)。この積み重ねが大切なところです。どんな荒行をしても、大勢の僧侶が結集しても、毎日の積み重ねには及びません。なぜなら、法力が持続するからです。
また、あさか大師では毎日のお護摩にご信徒の〈護摩木〉が寄せられます(下写真)。護摩木にはご信徒の願目(お願いごと)とお名前(会社名)が書かれ、お護摩の炎に投じられます。これによって一体感、つまりお導師とご信徒の融合が生まれます。これを〈三力〉といい、お大師さまの力、お導師の力、ご信徒の力が一体となり、祈願が成就するのです。
護摩木は〈添え護摩〉とも呼ばれますが、長さ25センチほどのお札です。あさか大師にお参りする方は、皆様がまずはこの護摩木を書きます。それが私の脇机(護摩壇の横にある机)に集められ、一本ずつ炎に投じられるのです。また、10日間とか、1ケ月間とか、連日で申し込みをなさる方もいらっしゃいます。これを〈願いおき護摩木〉といい、その日ごとにお護摩の炎に投じられます。
私はこれを休むことなく、毎日続けています。まれに葬儀や出張(おはらい)が入った場合は、前夜か早朝に実修しています。これによって少しでも皆様のお役に立てるならば、これほどうれしいことはありません。人は何かを手に入れるために生きていますが、私に必要なものはお大師さまがお与えくださるので、私があれが欲しい、これが欲しいと望む必要がないのです。私ももちろん自分のために生きてはいますが、皆様のためにお役に立てるならば、これが人生の幸福なのだと思うようになりました。そして、僧侶になって、またあさか大師を開創してほんとうによかったとも思っています。
ちなみに、護摩木は一本200円で、何本でもお申込みできます。遠方の方は、これもホームページの「お問い合せ」からお申込みください。ご相談でもけっこうです。ご縁がありますよう。
霊符神の好きなお酒は?
令和4年12月26日
私は霊的な問題を祈願する場合、〈霊符〉を用います。霊符はこの世と神仙界を結ぶ符号で、特殊な秘伝をもとに作成されます。現代の日本では、これを正しく伝承している人はほとんどいません。私は不思議なご縁でこの秘伝を受け、『霊符秘要抄』(青山社)を刊行しました。よく「お金が儲かる」「恋人ができる」といった宣伝で、霊符がネット販売されていますが、私はいろいろな意味で疑問です。
霊符神は正しくは「太上神仙鎮宅霊符尊」とお呼びします。常に〈八種供物〉を供えて祈願をするのが、霊符行者のつとめです。霊符行者は食べてはならないもの、行ってはいけないことなど、きびしい戒律があることはいうまでもありません。私は特にウナギ・アナゴ・ハモといった長ものの魚類や、スッポン料理は一切口にしないことを自らに課しています。
八種供物とは水・酒・茶・もち・菓子・カヤ・洗米・塩をいいます(写真)。
私はカヤの代わりに、よくナツメ(中列左)を用います。ナツメは〝仙菓〟として神仙界の神さまには尊ばれるからです。また、私自身もおやつとして、よくナツメをいただいています。また菓子としては、歓喜団を供えます(下列中央)。歓喜団は聖天さまのお供物として知られていますが、仏教の神さまには共通して喜ばれます。こしあんと薬材を皮で包んで油で揚げたもので、京都の土産物としても販売されています。また、洗米の代わりに五穀米をお供えすることもあります(下列右)。仏教の神さまは五穀米を好むからです。
ところで、霊符神はどんなお酒が好きなのでしょうか? 伝承した秘伝に、お酒に関する規定はありませんでしたが、私は特に〈桂花陳酒〉を選んでいます(写真)。なぜなら、霊符神はキンモクセイの花を好むという秘伝があり、桂花陳酒は中国製の白ワインとキンモクセイの花で作られるからです。かなりの甘口ですが、さすがに、中国料理には合います。
霊符は軽々しく作成すべきではありません。霊符神とのお約束を守り、正しい秘伝をもとに修する必要があるからです。人と人との間にはマナーがありますが、神さまと人の間にはきびしい戒律があることを知らねばなりません。仏さまが祟りをなすことはありませんが、神さまには祟りがあることも申し添えておきます。
願いが叶う仕組み
令和2年11月29日
私は毎日、たくさんのご祈願を依頼されています。もちろん、自分の願いもありますので、そのことを念ずることもよくあります。だから、願いが叶う仕組みをよく知っています。
何度もお話をしますが、願いが叶うということは、叶うためのヒントやアイデアをいただくということが多いのです。別な言い方をすれば、間接的に叶うという意味です。これは、きわめて大切なことです。
たとえばお金が欲しいからといって、天から一万円札がパラパラと落ちて来るわけではありません。売り上げを伸ばしたいからといって、明日から千客万来というわけにはいきません。つまり、お金や売り上げに関するヒントやアイデアを授かるという意味なのです。ご祈願をしたら、それがどこから授かるかに注意を傾ける必要があります。友人との会話、テレビ番組、雑誌の記事、電車の広告、ヒントやアイデアは意外なところにあるからです。これは、どんな願いでも同じです。
あるいは、自分でひらめくこともあります。私の場合は考えに考えぬいた後、思ってもみない時に、ふと浮かぶことが多いようです。お風呂の中でもよく浮かびます。特に出版社の方とは、よく街の温泉に行きます。湯船の中で話し合っていると、不思議に頭脳が冴え、ひらめきが浮かぶのです。まさに、お風呂は〝浮かぶ〟ところです。
こういう仕組みを知らずに、今日叶うか、明日叶うかと望んだところで、成就は得られません。仏さまも神さまも、いつも試していらっしゃるからです。上手におつき合いをしましょう。
祈願が成就するためには
令和2年11月14日
昨日、長い間の祈願をしていた、ある事業許可が成就しました。お知らせを受けてホッとすると同時に、願主と共に喜びを分かち合いました。こういう時こそ、真言行者はその冥利に尽きるというものです。
祈願が成就するためには、いくつかの条件が必要です。そこで、私が普段から考えていることをお話しましょう。
①祈願は本尊(お大師さま)と行者(導師)と願主(信徒)が一体にならねば、成就しません。これを〈三力〉と言います。つまり、本尊さまと行者が融合しても、願主が熱心に努力し、信仰に励まねば成就しないということです。願主をはじめ、多くの信徒が結集する祈りを〈法界力〉と言い、本堂の中に遍満する力を指します。
②祈願と共に、先祖への供養も怠らぬことが大切です。せっかく祈願をしても、先祖への供養が充分でないと、その福徳が充分に届きません。祈願と供養は一対の車輪と心がけることです。
③今までと同じ生活をしていても、人生は変わりません。人に喜ばれ、感謝をされる行いをすることです。一日一つでもよいのです。やさしい言葉をかけ、笑顔で接し、親切を施すことです。人に喜ばれることは、仏さまにも喜ばれることを忘れてはなりません。その功徳が祈願を成就する力となるのです。
先に述べた願主は、このいずれにも熱心でした。そして、真剣でした。このような方は、たとえ時間はかかっても、ついには勝利を得ることを私は知っています。正しく祈願をすれば、必ず成就します。皆さんも肝に銘じましょう。
プラスの波動とマイナスの波動
令和2年6月24日
アメリカの心臓病専門の病院による、こんな実験報告があります。
入院している心臓病の患者400人を、無差別で200人ずつに分けました。そして、一方の患者の名前をすべて書き出し、一人一人のために病気平癒の祈りを教会にお願いしました。また、この人たちに対しては、「皆様のために、教会で毎日祈っていますよ」ということだけを伝えました。もう一方の患者に対しては、何もせず、何も伝えませんでした。
そして、10ヶ月がたちました。教会で毎日祈ってもらった200人の患者はその間、一度も発作をおこしませんでした。しかも、この人たちは経過がどんどんよくなっていたというのです。しかし、もう一方の200人の患者は、12人が発作をおこし、その中で8人が死亡しました。そして、経過が悪くなった人が60パーセントにも達しました。
この実験は明らかなデータのもとに、一般公表されています。いったい、この違いは何なのでしょうか。
つまり、「祈りは力である」という一語に尽きるのです。その力とは〈波動〉といってもよいでしょう。心の想念は波動となって伝わります。時間にも空間にもかかわりなく、必ず伝わります。だから、よい波動の集まる人は体の代謝もよくなり、治癒力も増し、病気の回復が早まるのです。
このことは、人生そのものにおいても同じです。幸運は人とは、すなわちプラスの波動が集まる人です。多くの人から好かれ、感謝され、その想念が波動となって集まる人です。そのプラスの波動が幸運を呼ぶのです。だから私は、「好かれることは、人生で最も役立つ才能ですよ」と、いつもお話しています。それは、逆のことを考えれば誰にでもわかるはずです。人に好かれることもなく、感謝されることもなく、かえって恨みや憎しみを買っている人はマイナスの波動しか集まりません。こういう人がいくら名前を変え、方位を変え、開運グッズを求めても意味はありません。
そして、さらに大切なことは、人の幸運を祈れる人は自分もまた幸運に恵まれるという事実です。類はまた、その類を呼ぶからです。プラスの波動はプラスの波動を呼ぶからです。祈られる人は心の支えになり、自信にもなりますが、祈る人もまた同じです。この世は「もちつ、もたれつ」なのです。そして、「人を呪わば穴ふたつ」なのです。わかりますよね。
続・祈願は叶うのです
令和2年3月1日
何度もお話しますが、願いごとが叶うとは、瞬時にして難病が治ることではありません。また、一夜にして億万長者になることでもありません。
しかし私が「必ず叶います」という意味は、身辺をよく観察すれば、何かが起こっているということなのです。何かの変化が起こっているということなのです。それも間接的に訪れることが多いはずです。それに気づくことです。奇跡ばかりを望んでいては、決して〝奇跡〟は訪れません。
朝の目覚めの時、まったく忘れていた人のことを思い出したなら、電話やメールをするか手紙を出してみてください。その日、最初に会う人に注目してください。そして、何かをお話してみてください。たまには、いつもと違うテレビやラジオ番組を視聴してみてください。ウォーキングやジョギングをするなら、異なるコースを選んでみてください。時には、書店に入ってみてください。電車やバスの車内広告をみてください。友人や知人との会話に耳を傾けてみてください。ヒントやアドバイスは、こうしたところからやって来るのです。そして、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえて来るのです。
病気のことなら、名医や治療法が見つかるかも知れません。商売のことなら、思わぬ活路を見い出すかも知れません。また意外な人脈や方法が、皆様の願いを叶えるかも知れません。つまり祈願の結果は誰かを通じて、また何かを通じて、いつの間にかやって来るということなのです。このことを常に念頭に入れておくことです。
もちろん、私自身も同じことを心がけています。だから、いつもワクワクしながらお大師さまからのご返事を待っています。皆様、アンテナを張ることを忘れてはなりません。
祈願は叶うのです
令和2年3月1日
毎日、皆様から護摩木(添え護摩)をおあずかりして、お護摩の祈願を続けています。直接お参りして護摩木を書いていく方もおりますが、遠方の方は郵便やFАXでお送りくださいます。
今日は遠方の方の申し込みが多く、お二人の方にお手伝いをいただきました。
ところで、「祈願は本当に叶うのですか」という、素朴な疑問を投げかける方もいらっしゃいます。そんな時、私はたいてい、「必ず叶います。ただし願ったとおりではなかった場合は、それがお大師さまからのご返事です」とお答えしています。そのことについて、お話をいたしましょう。
真言密教は〈即身成仏〉の教えです。すなわち、「この身に即して仏の無限の功徳をいただく」という意味です。この〝即して〟が大切なところで、私たちのこの肉体にこそ仏は宿り、仏の功徳が満ちるということなのです。それは、肉体こそは宇宙の縮図、自然界そのものだということで、これについては以前にもお話をしました。
だから、正しい心で真剣に祈願をすれば、必ず叶います。ただし、願ったとおりではなかった場合、あるいは何の結果もなかったように見える場合もあります。皆様が十分に徳を積んで努力をなし、仏がお喜びになれば、願ったとおりに叶うのです。ところがそれに反する場合、ここにはいくつかの理由があります。一つには間違った願いであった場合、二つには不相応な願いであった場合、三つにはその願いが時期尚早であった場合、四つには願いが叶うと不幸な結果を呼ぶ場合、五つには結果をいただきながら何も気づかないでいる場合、などでしょう。謙虚に反省するなら、これらのことは思い当たるはずです。また、結果は思わぬ形で訪れることにも注意することです。何の結果もないということは絶対にありません。
祈願が叶うとは、空から一万円札が落ちて来ることではないのです。子供が親から小遣いをもらうことでもないのです。宝くじで一億円を手にすれば、かえって不幸になるかも知れません。名誉が欲しいからといって、本当に務まるでしょうか。徳も能力もあれば、因果にしたがって叶うのです。しかし、その因果を超えて仏の教育があり、励ましがあり、時にはお叱りがあるのです。これが即身成仏であり、お大師さまからのご返事なのです。皆様、功徳は必ず平等にいただいていることを忘れてはなりません。
続・お願いごとが叶う
令和元年9月23日
神さまや仏さまが喜ぶことをして、世の中の人が喜ぶことをすれば、願いごとは必ず叶います。ただ、さらに注意せねばならないことがあります。
まず一つは、願いごとが叶うとは、間接的に叶うことが多いということです。いつもお話をしていますが、たとえばお金を手に入れることとは、子供が親からお小遣いをもらうこととはまったく違うのです。ほとんどは、人や物を通じて間接的に現れるからです。つまり、何かの〈縁〉を通じて現れるということです。
病気平癒のお願いごとをした場合、ウソのように直接に治ることもありますが、多くは何らかの〝情報〟という縁によって現れます。どこの病院やお医者さんがいいとか、こういう治療法があるとか、いい薬を知らされるとか、それによって病気が好転するのです。それは友人との会話で知るかも知れませんし、テレビ番組の中で知るかもしれません。あるいは、立ち寄った書店で手にした本や電車内の広告で知るかも知れません。
だから情報という縁が、いつ、どこで、何によって現れるか、それをキャッチするアンテナを張っておく必要があるのです。つまり、足もとに現れていながら、まったく気づかずにいる人が多ということなのです。このことを知らず、ただ黙って待っていても、お願いごとは叶いません。
もう一つは、持って生まれた力量や寿命はやむを得ないということです。明日からスグに総理大臣になること出来ませんし、千年も万年も生きることは出来ません。特に病気に関しては、高齢になるほどむずかしくなります。〈生老病死〉は人の宿命で、人はいずれは病を得て死を迎えます。その宿命まで変えることは出来ません。
でも、一心にお願いごとをなし、それを神さまや仏さまが喜び、世の中の人が喜ぶことをするなら、必ず何らかの〝お知らせ〟はあります。そのことは信じてください。このことも、お願いごとに関する、大事な心得なのです。
お願いごとが叶う
令和元年9月22日
私たちは一心に祈れば、お願いごとが叶うと思いがちです。しかし、ここにもまた意外な落とし穴がありますので、そのことをお話しましょう。
皆様がお願いごとをする時、たとえばお護摩札には〈病気平癒〉や〈商売繁昌〉と書かれます。しかし、これを念ずる時、「病気の私を早く治してください」とか「貧乏な私をお金持ちにしてください」といった言葉を用いてはなりません。なぜなら、このような言葉には、「私はもともと病気なのです」とか、「私はどうせ貧乏なのです」という意味が含まれているからです。
では、どのような言葉で祈ればいいのかと申しますと、「早く元気になって、世の中に役立たせてください」とか、「世の中に役立つものを与えて、世の中の人が喜ぶように私を使ってください」とすればいいのです。この違いがわかりますでしょうか。
お話をちょっと変えますが、お護摩のお導師が何をしているのかといいますと、ひたすら〝供養〟をしているのです。供養をするとは、つまり神さまや仏さまが喜ぶことをしているのです。神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、お願いごとはおのずから叶うからです。なぜなら、神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、神さまや仏さまはこの世の人や何かの縁を通じて、望むものを与えてくださるからです。だから、お護摩でお願いごとをする時は、このことがわかっているお導師を選ばねばなりません。実は、多くのお導師は作法はしているものの、肝心なこの真理がわかっていないのです。
お願いごとが叶うとは、一万円札が天からパラパラと降って来ることではありません。神さまや仏さまが喜ぶ言葉で祈り、また喜ぶ行いをすれば、この世の人も喜ぶのです。そうすれば、お願いごとは人や何かの縁を通じて必ず叶います。お願いごとをする時は、どうかこの真理を忘れないでください。