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プラスの波動とマイナスの波動

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祈願

令和2年6月24日

 

アメリカの心臓病専門の病院による、こんな実験報告があります。

入院している心臓病の患者400人を、無差別で200人ずつに分けました。そして、一方の患者の名前をすべて書き出し、一人一人のために病気平癒の祈りを教会にお願いしました。また、この人たちに対しては、「皆様のために、教会で毎日祈っていますよ」ということだけを伝えました。もう一方の患者に対しては、何もせず、何も伝えませんでした。

そして、10ヶ月がたちました。教会で毎日祈ってもらった200人の患者はその間、一度も発作をおこしませんでした。しかも、この人たちは経過がどんどんよくなっていたというのです。しかし、もう一方の200人の患者は、12人が発作をおこし、その中で8人が死亡しました。そして、経過が悪くなった人が60パーセントにも達しました。

この実験は明らかなデータのもとに、一般公表されています。いったい、この違いは何なのでしょうか。

つまり、「祈りは力である」という一語に尽きるのです。その力とは〈波動〉といってもよいでしょう。心の想念は波動となって伝わります。時間にも空間にもかかわりなく、必ず伝わります。だから、よい波動の集まる人は体の代謝もよくなり、治癒力ちゆりょくも増し、病気の回復が早まるのです。

このことは、人生そのものにおいても同じです。幸運は人とは、すなわちプラスの波動が集まる人です。多くの人から好かれ、感謝され、その想念が波動となって集まる人です。そのプラスの波動が幸運を呼ぶのです。だから私は、「好かれることは、人生で最も役立つ才能ですよ」と、いつもお話しています。それは、逆のことを考えれば誰にでもわかるはずです。人に好かれることもなく、感謝されることもなく、かえってうらみやにくしみを買っている人はマイナスの波動しか集まりません。こういう人がいくら名前を変え、方位を変え、開運グッズを求めても意味はありません。

そして、さらに大切なことは、人の幸運を祈れる人は自分もまた幸運に恵まれるという事実です。類はまた、その類を呼ぶからです。プラスの波動はプラスの波動を呼ぶからです。祈られる人は心の支えになり、自信にもなりますが、祈る人もまた同じです。この世は「もちつ、もたれつ」なのです。そして、「人を呪わば穴ふたつ」なのです。わかりますよね。

続・祈願は叶うのです

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令和2年3月1日

 

何度もお話しますが、願いごとが叶うとは、瞬時にして難病が治ることではありません。また、一夜にして億万長者になることでもありません。

しかし私が「必ず叶います」という意味は、身辺をよく観察すれば、何かが起こっているということなのです。何かの変化が起こっているということなのです。それも間接的に訪れることが多いはずです。それに気づくことです。奇跡ばかりを望んでいては、決して〝奇跡〟は訪れません。

朝の目覚めの時、まったく忘れていた人のことを思い出したなら、電話やメールをするか手紙を出してみてください。その日、最初に会う人に注目してください。そして、何かをお話してみてください。たまには、いつもと違うテレビやラジオ番組を視聴してみてください。ウォーキングやジョギングをするなら、異なるコースを選んでみてください。時には、書店に入ってみてください。電車やバスの車内広告をみてください。友人や知人との会話に耳を傾けてみてください。ヒントやアドバイスは、こうしたところからやって来るのです。そして、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえて来るのです。

病気のことなら、名医や治療法が見つかるかも知れません。商売のことなら、思わぬ活路を見い出すかも知れません。また意外な人脈や方法が、皆様の願いを叶えるかも知れません。つまり祈願の結果は誰かを通じて、また何かを通じて、いつの間にかやって来るということなのです。このことを常に念頭に入れておくことです。

もちろん、私自身も同じことを心がけています。だから、いつもワクワクしながらお大師さまからのご返事を待っています。皆様、アンテナを張ることを忘れてはなりません。

祈願は叶うのです

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令和2年3月1日

 

毎日、皆様から護摩木ごまぎ護摩ごま)をおあずかりして、お護摩の祈願を続けています。直接お参りして護摩木を書いていく方もおりますが、遠方の方は郵便やFАXでお送りくださいます。

今日は遠方の方の申し込みが多く、お二人の方にお手伝いをいただきました。

ところで、「祈願は本当にかなうのですか」という、素朴な疑問を投げかける方もいらっしゃいます。そんな時、私はたいてい、「必ず叶います。ただし願ったとおりではなかった場合は、それがお大師さまからのご返事です」とお答えしています。そのことについて、お話をいたしましょう。

真言密教は〈即身成仏そくしんじょうぶつ〉の教えです。すなわち、「この身にそくして仏の無限の功徳をいただく」という意味です。この〝即して〟が大切なところで、私たちのこの肉体にこそ仏は宿り、仏の功徳が満ちるということなのです。それは、肉体こそは宇宙の縮図、自然界そのものだということで、これについては以前にもお話をしました。

だから、正しい心で真剣に祈願をすれば、必ず叶います。ただし、願ったとおりではなかった場合、あるいは何の結果もなかったように見える場合もあります。皆様が十分に徳を積んで努力をなし、仏がお喜びになれば、願ったとおりに叶うのです。ところがそれに反する場合、ここにはいくつかの理由があります。一つには間違った願いであった場合、二つには不相応ふそうおうな願いであった場合、三つにはその願いが時期尚早じきしょうそうであった場合、四つには願いが叶うと不幸な結果を呼ぶ場合、五つには結果をいただきながら何も気づかないでいる場合、などでしょう。謙虚に反省するなら、これらのことは思い当たるはずです。また、結果は思わぬ形で訪れることにも注意することです。何の結果もないということは絶対にありません。

祈願が叶うとは、空から一万円札が落ちて来ることではないのです。子供が親から小遣こづかいをもらうことでもないのです。宝くじで一億円を手にすれば、かえって不幸になるかも知れません。名誉が欲しいからといって、本当につとまるでしょうか。徳も能力もあれば、因果にしたがって叶うのです。しかし、その因果を超えて仏の教育があり、励ましがあり、時にはおしかりがあるのです。これが即身成仏であり、お大師さまからのご返事なのです。皆様、功徳は必ず平等にいただいていることを忘れてはなりません。

続・お願いごとが叶う

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令和元年9月23日

 

神さまや仏さまが喜ぶことをして、世の中の人が喜ぶことをすれば、願いごとは必ずかないます。ただ、さらに注意せねばならないことがあります。

まず一つは、願いごとが叶うとは、間接的に叶うことが多いということです。いつもお話をしていますが、たとえばお金を手に入れることとは、子供が親からお小遣こづかいをもらうこととはまったく違うのです。ほとんどは、人や物を通じて間接的に現れるからです。つまり、何かの〈縁〉を通じて現れるということです。

病気平癒のお願いごとをした場合、ウソのように直接に治ることもありますが、多くは何らかの〝情報〟という縁によって現れます。どこの病院やお医者さんがいいとか、こういう治療法があるとか、いい薬を知らされるとか、それによって病気が好転するのです。それは友人との会話で知るかも知れませんし、テレビ番組の中で知るかもしれません。あるいは、立ち寄った書店で手にした本や電車内の広告で知るかも知れません。

だから情報という縁が、いつ、どこで、何によって現れるか、それをキャッチするアンテナを張っておく必要があるのです。つまり、足もとに現れていながら、まったく気づかずにいる人が多ということなのです。このことを知らず、ただ黙って待っていても、お願いごとは叶いません。

もう一つは、持って生まれた力量や寿命はやむを得ないということです。明日からスグに総理大臣になること出来ませんし、千年も万年も生きることは出来ません。特に病気に関しては、高齢になるほどむずかしくなります。〈生老病死しょうろうびょうし〉は人の宿命で、人はいずれは病を得て死を迎えます。その宿命まで変えることは出来ません。

でも、一心にお願いごとをなし、それを神さまや仏さまが喜び、世の中の人が喜ぶことをするなら、必ず何らかの〝お知らせ〟はあります。そのことは信じてください。このことも、お願いごとに関する、大事な心得なのです。

お願いごとが叶う

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令和元年9月22日

 

私たちは一心に祈れば、お願いごとがかなうと思いがちです。しかし、ここにもまた意外な落とし穴がありますので、そのことをお話しましょう。

皆様がお願いごとをする時、たとえばお護摩札には〈病気平癒〉や〈商売繁昌〉と書かれます。しかし、これを念ずる時、「病気の私を早く治してください」とか「貧乏な私をお金持ちにしてください」といった言葉を用いてはなりません。なぜなら、このような言葉には、「私はもともと病気なのです」とか、「私はどうせ貧乏なのです」という意味が含まれているからです。

では、どのような言葉で祈ればいいのかと申しますと、「早く元気になって、世の中に役立たせてください」とか、「世の中に役立つものを与えて、世の中の人が喜ぶように私を使ってください」とすればいいのです。この違いがわかりますでしょうか。

お話をちょっと変えますが、お護摩のお導師が何をしているのかといいますと、ひたすら〝供養〟をしているのです。供養をするとは、つまり神さまや仏さまが喜ぶことをしているのです。神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、お願いごとはおのずから叶うからです。なぜなら、神さまや仏さまが喜ぶことをすれば、神さまや仏さまはこの世の人や何かの縁を通じて、望むものを与えてくださるからです。だから、お護摩でお願いごとをする時は、このことがわかっているお導師を選ばねばなりません。実は、多くのお導師は作法はしているものの、肝心なこの真理がわかっていないのです。

お願いごとが叶うとは、一万円札が天からパラパラと降って来ることではありません。神さまや仏さまが喜ぶ言葉で祈り、また喜ぶ行いをすれば、この世の人も喜ぶのです。そうすれば、お願いごとは人や何かの縁を通じて必ず叶います。お願いごとをする時は、どうかこの真理を忘れないでください。

霊符祈願

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令和元年7月29日

 

今日は霊符祈願で二件の依頼がありました。

私の霊符は『鎮宅神仙・霊符秘要抄』(青山社)という書籍によって著作権がありますので、許可なく転用はできません。写真のような桐箱(タテ26センチ・ヨコ12センチ)に封じ、お護摩で祈願した後に本人にお渡ししています。このほかに葉書サイズや携帯用もあります。

霊符はその名のとおり、霊的な祈願に用います。

これまで意外に多かったのは、子供さんの学習塾でした。子供さんはみな〝純粋な〟ためか、よく霊を見るのです。誰かが、「オバケがいる!」などど言い出すと、「ここにもいるよ!」と、ほかの子も言い出すのです。そうなると、みんなが気味悪がって、塾を休んだり、やめてしまったりして、困ったことになります。中には教えている先生までが「やめたい」などと言い出す始末で、オーナーが悩んだ末に私のところにやって来るのです。

このような時は、私が直接に塾を訪ねて祈願をします。みな、一発でおさまり、大変に感謝されてきました。それは正しい伝承を継ぎ、正しい作法で霊符を祈願しているからです。今日、ネットで〈霊符〉を検索すると、「開運する霊符」「売上げが伸びる霊符」「恋人ができる霊符」等、まるでオンパレードですが、はたしていかがでしょうか。霊符には秘奥ひおく口伝くでんがありますが、その伝授を受けている方はほとんどいません。また、間違った字体や形体も多く、永い歴史の中で誤伝されてしまいました。間違って伝わるはやすく、正しく伝わるはかたいのです。世の中のこと、すべて同じでしょう。

*明日・明後日は、私の都合でブログを休みます。8月1日にはまたお目にかかれますから、ね。

縁結びと縁切り

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令和元年7月10日

 

毎日、たくさんのご祈願が寄せられます。その中には〈縁結び〉もあれば、〈縁切り〉もあります。

縁結びはもちろん、結婚を希望される方の、いわゆる良縁成就のご祈願をします。毎日の護摩木にもよく寄せられますが、霊符という特殊な祈願法もあります。私は霊符の専門家なので、これを浄書して実績を残してきました。そして、結婚をすれば次は子宝となり、ずいぶん依頼されたものです。

良縁も子宝も、引き寄せのパワーが大切で、これを意識してご祈願をします。ご祈願中はかなり体温が上がり、汗だくになります。強いエネルギーが異界から降臨する感じとでもお話しておきましょう。

縁切りは、昔は一方的に女性の願いごとでした。昔の女性は(時代劇で見るように)自分から離縁ができませんでした。現代でも夫婦に限らず、おつき合いをしている男性と別れたいという願いは、多くの女性がかかえる悩みです。ところが、近ごろは男性からの依頼があるのには驚きました。それだけ女性の勢いが強い時代なのでしょう。

縁切りは引き離しのパワーでご祈願します。昨日も依頼があって、霊符を浄書してこれを修しました。二人の男女が背を向けて離れるイメージで、パワーを送りました。時には、流れる川が二又ふたまたにに別れる状況が浮かんだりします。成就すると確信しています。

こんな悩みがありましたら、いつでもお訪ねください。不思議なことがおこりますよ。

山路天酬密教私塾

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