この世とあの世は一つです
令和7年11月8日
この世のことを「現世」といいます。それは、この世はあの世の〝うつし〟だからです。あの世のフィルムがこの世というスクリーンに映像となって写るという意味です。だから、この世とあの世は一つです。あの世が変われば、この世も変わります。
あの世とはタテの先祖とヨコの前世が合体したものです。これを変えるには、先祖供養によって功徳を積むことです。先祖も自分も、共に変わります。
「先祖代々」とは、血のつながった直系です。次に叔父叔母は血のつながりはありませんが、先祖代々の傍系として「先亡」と呼びます。それから、どの家にも「水子」がいることも見逃がせません。この先祖代々・先亡・水子の統合こそ、本当の生きた先祖供養です。
また、私たちは父母の両家からこの世に生まれました。父方ばかりではなく、母系供養こそ忘れてはなりません。あさか大師では父母両家の先祖代々・先亡・水子の供養紙(写真)を渡し、お導師が毎日これを修しています。

次に大切なことは、真言密教のお導師と祈りを融合させることです。依頼するだけでも、自己流でもいけません。真言密教には仏を呼ぶ秘法があり、皆様の祈りを融合させることができます。これをくり返すことで「人生を変える先祖供養」となるのです。
*この「人生を変える先祖供養」をご希望の方は、あさか大師ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。一ケ月2000円で父母両家の先祖供養ができます。むずかしい作法は何もありません。遠方の方には郵送します。全国から多くの皆様が参加しています。
死後がそこにあるからです
令和7年11月6日
死後の世界などあり得ないし、信じないという人は多いはずです。そんなものは科学的ではないといいます。もちろん、死後の世界は眼には見えず、耳にも聴こえません。しかし、見えないから聴こえないから「ない」と断言するほど非科学的な意見はありません。
眼には見えず、耳にも聴こえずとも、素粒子や電波が存在します。天上の彼方で、深海の果てに何があるのかも、私たちは感知することができません。それでも確実に存在しています。
死後を信じなくとも、死後を考える頭脳はあります。また、死後を思う心があることも否定できません。その死後を思う心もまた、眼には見えず、耳にも聴こえません。私たちの心が死後を思うのは、実は死後がそこにあるからです。死後がその心を呼ぶからです。死後があるから、心が呼ばれるのです。何もなければ、呼ばれることも想うこともないのです。その心が、死と共に消え去るのでしょうか。死によって何もかも無に帰するなら、死後がないという確認すらできません。死後を思う心があるのに、これはおかしなことです。

私たちは死後を信じ、あの世とこの世が一つであることを信じ、先祖供養に励んでいます。そして、功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の財産であると信じています。今では「人生を変える先祖供養」として知られるようになりました。
*この「人生を変える先祖供養」を希望される方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。遠方の方には郵送します。一ケ月2000円の供養料で、父母両家にアプローチする光明真言(写真)の秘法を、毎日受けることができます。
あの世に持ち越せる唯一の財産
令和7年11月2日
あさか大師では11月1日(土)・2日(日)の午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修しました。両日とも大勢の皆様が集まり、僧侶と共に読経しました(写真)。また遠方の皆様は、同時祈念にて感応道交をはかりました。

人は生まれた時から、いろいろな違いがあります。体が丈夫な人もいれば、逆に弱い人もいます。裕福に生まれる人もいれば、逆に貧困の人もいます。それは、産まれる以前に、何らかのプロセス(前世)があったからではないでしょうか。
人は誰しも、いずれは死を迎えます。しかし、何もないところから生まれ、死によって何もかもなくなるとは思えません。では、何が残るのかといえば、生前にその人がどのような生き方をしたかの〝徳〟ではないかと思います。仏教ではこれを〈功徳〉といいます。つまり、功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の財産なのです。
それに気づく時、人は新しい人生の門出に立てるのです。私たちはそのように考え、少しでも功徳が積めるよう精進しています。そして、先祖への報恩が大きな功徳になると考え、その供養に励んでいます。
関心をお持ちの方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。遠方の方には郵送します。高額な費用はかかりません。それでも真言密教の秘法を、毎日受けることができます。偉大なお大師様と共に、そして私たちと共に功徳を積みましょう。
新しい人生の門出
令和7年10月30日
あさか大師では11月1日(土)・2日(日)午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修いたします。お導師も僧侶も、そして参詣の皆様も光明真言曼荼羅に向かい、遠方の皆様は同時祈念をなし、共に滅罪生善と精霊得脱を祈ります(写真)。

この先祖供養は単なる回向ではなく、皆様がこの世に誕生した人生のルーツに、直接にアプローチするものです。そして、お導師は真言密教の秘法を毎日修し、皆様の祈りと融合させ、それぞれの感応道交をはかります。
したがって、ご命日や回忌の法要とは違った「人生を変える先祖供養」として知られるようになりました。この先祖供養を始めると不思議な霊験をいただき、多くの皆様からお話が寄せられています。
先祖供養をすすめる寺院は数知れませんが、単なる形式的な作法や読経では、人生を変えるパワーにはなりません。また、法外な供養料を請求する寺院にも注意する必要があります。あさか大師は父母両家の供養を修して、一ケ月2000円です。
当日は初めての方も歓迎いたしますが、勧誘はいたしません。ご自身の眼で判断してください。遠方の皆様は私のブログや著書をご覧いただき、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。そして、新しい人生の門出を目ざしてください。善男善女のご縁をお待ちいたします。
再び、死者は生きている
令和7年10月6日
昨日お話したように、あさか大師では「死者は生きている」という理念のもとに、「人生を変える先祖供養」を提唱しています。
生きている死者とは、まず血のつながった直系の「先祖代々」です。遺伝子によって、生前の生き方を私たちが受け継ぐ方々です。主に男性は母方を、女性は父方を受け継ぎます。いわゆる隔世遺伝とは劣性の遺伝子を指しますが、優性も劣性も祖父母の生き方が孫や曾孫に出ることは間違いありません。
では直系以外の死者で、血のつながりのない叔父叔母は何の関わりもないかといいますと、そうはいきません。特に生前にかわいがっていただいた叔父叔母は、あの世に往っても関わります。両親の兄弟ですから、これも当然のことで、これを「先亡」と呼びます。
それから、どの家にも「水子」がいます。水子は母の胎内に宿りながら、産まれ得なかった無念さを残しています。特に現代の青少年を見ると、まさに水子の無念さが投影されているように思えることがよくあります。
あさか大師では、この先祖代々・先亡・水子を統合する供養紙(お札)をお渡しています(写真)。

この供養紙に向かって私は毎朝、光明真言の秘法を修し、皆様の祈りを融合させています。大切なことは、プロの導師と共に祈ること、そして毎日のこの継続によってこそ絶大なパワーが発揮されるということです。
むずかしいことは何もありません。供養料は月に2000円で、入退自由です。遠方の皆様には郵送しますので、全国から多くの皆様が参加されています。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
まばゆい浄土と化す
令和7年9月23日
あさか大師では本日午後1時より、秋彼岸会法要を勤修しました。たくさんの皆様がお参りしてお大師様に真心を捧げ、先祖供養のために読経をしました(写真)。

堂内は光明真言の波動が遍満し、まばゆい浄土と化しました。お塔婆からは陽炎のように光が上昇し、お灯明が随喜の輝きを発しました。このような法要を共に修せることは、得がたい法縁です。ただただ、お大師様はありがたいと思うばかりです。
お経も真言も、決してこの場かぎりのものではありません。この一字一句が功徳となって法界となり、共に祈る方々の体にも心にも残ります。お腹の赤ちゃんもその功徳を受けて、丈夫に育ちます。体調の悪い方も、元気を取りもどします。
私たちは自分ひとりの力はわずかですが、この祈りが家族のため、日本のため、世界のためとなることを信じて疑いません。皆様のご先祖をはじめ、三界万霊のすべてが救われるからです。
さらに多くの皆様が、この祈りを共にすることを念じています。「人生を変える先祖供養」をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
お塔婆を開眼すると何がおこるか
令和7年9月15日
あさか大師では9月23日(秋分の日)午後1時より「秋彼岸会法要」を勤修いたします。そこで私は、毎朝のご回向で前行に入りました。お塔婆を浄書し、祖霊壇に奉安し、開眼して光明真言の秘法を修しています(写真)。

よくお話をするのですが、お塔婆も開眼しなければ、単なる木材に過ぎません。しかし、これを浄書し、開眼すると、オーラが湧出します。ウソではありません。お塔婆の先端から7~8ミリほどの薄い膜のようなものが見えてきます。これは魂が入った証拠で、お塔婆が生きものになったという意味なのです。
もちろん、毎日くり返し光明真言を唱え、秘法を修さなければ、こんな現象はおこりません。お大師様がおっしゃるように、「真言は不思議なり」なのです。お参りする皆様は、こんなことも楽しみの一つになっています。
なお、あさか大師ではお塔婆による供養を「特別供養」と呼び、一体5000円で受付けています。このブログをご覧になった方で、彼岸供養をご希望の方は「お問合わせ」からご送信ください。父母の先祖代々でも、個人名(俗名)でもけっこうです。後から郵便振替用紙をお送りいたします。全国どこからでもお申し込みください。
続々・「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月11日
私たちは自分の人生は自分で考え、自分で判断し、自分で歩んでいると思っています。しかし、本当にそうでしょうか。
人生には思うようにいかないことがたくさんあります。また、思ってもみないことがたくさんあります。気をつけていても、事故をおこすことがあります。反対に、事故に巻き込まれることもあります。
それは自分の考えや判断を超えた何かがあるからです。それは眼には見えず、耳には聞こえずとも魂が感じるからです。
この世を「現世」といいます。あの世の「うつし」です。なぜなら、この世とあの世は一つだからです。私たちは、この世とあの世を共に生きているのです。そのように感じるのは、この地球上に人間しかいません。だから、「万物の霊長」というのです。霊を感じる自然界の長者という意味です。
あさか大師では先祖代々(直系)・叔父叔母(傍系)・水子を共に供養できる先祖供養をおすすめしています(写真)。

先祖代々は皆様の体に流れる血系です。叔父叔母は血系ではありませんが、あの世に往っても関わります。また、どの家にも水子がいます。「人生を変える先祖供養」にはこの合体が必要です。
供養料は一ケ月2000円です。入退は自由で、遠方の方には郵送します。大切な人生のため、投資をしてください。ホームページ「お問合わせ」からのご連絡をお待ちしております。
続・「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月9日
あさか大師の先祖供養は、お導師と皆様の祈りを融合させることに特徴があります。
私は毎朝、光明真言法という真言密教の秘法を修します。そして、私の祈りが感応するよう、ご自宅に供養紙(お札)をお祀りいただいています。そして、月ごとに皆様の功徳をお大師様にお供えします。こうして、相互の祈りを融合させることにより、絶大なパワーが発揮されるのです。
しかも、それだけではありません。全国の弟子僧もまた光明真言マンダラへの念誦を実修し、強力なネットワークを組んでいます(写真)。その念誦数はすでに200万遍を超え、間もなく300万遍に達しようとしています。

これほどの配慮をして先祖供養を実修しているお寺はありません。だから「人生を変える先祖供養」と呼ばれるのです。しかも供養料は、父母の両家を供養して、月に2000円です。一日にして66円ほどの人生への投資です。
自分の人生を大切にする人は、他人の人生も大切にします。どうか、自分の人生を大切にしてください。霊妙なパワーを得ることができるのは、「万物の霊長」たる私たちだけなのです。むずかしい作法は何もありません。全国から多くの皆様が参加し、遠方の方には郵送します。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。
「万物の霊長」とはどういう意味か
令和7年9月7日
昨日と本日、あさか大師では総回向法要(先祖供養)を勤修しました。
ご参加の皆様はご先祖と融合して、新しい人生を目ざしたいと考えています。なぜなら、自分の人生は単に自分ひとりのものではなく、多くのご先祖と共有するものであることを実感しているからです。堂内では僧侶と共に真剣に読経し、仏の浄土を味わっています(写真)。

人間をして「万物の霊長」といいます。なぜなら、この自然界の中で、人間だけが唯一の霊的存在であるからです。霊を感じ、霊に感謝し、霊を祀り、霊と共に生きる長者という意味だからです。だからこそ、先祖供養は人間の英知であるといえるのです。
今日、墓じまいや檀家離れが進んでいます。では、お寺や先祖供養に関心がないのかといいますと、決してこんなことはありません。奈良や京都や高野山に多くの人々が集まるのは、先祖の魂が霊妙な仏の浄土を求めているからです。類は類を呼ぶからです。そうでなければ、高価な交通費や宿泊代を払って、わざわざ出向くはずがありません。
あさか大師では菩提寺がなくとも、檀家にならずとも、入退が自由な「人生を変える先祖供養」をおすすめしています。一ケ月2000円で毎日、真言密教の秘法を受けることができます。人生へのわずかな投資で、新しい人生を目ざしてください。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。

