功徳こそは

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仏教

令和元年6月20日

 

二日連続で健康法のお話をしました。今日はちょっと、別な視点からお話をしましょう。

歩くことも、声を出すことも、健康法としてとてもよいことです。私はウォーキングと共に「水平足踏あしぶみ(両膝りょうひざを水平まで上げる足踏み)」を実践していますし、声出しならカラオケ・コーラス・詩吟・謡曲から、スポーツや武道の掛け声、野球やサッカーの声援など、いくらでもあります。このような中で、私が特に読経を進める理由は別にあるのです。皆様が信じる信じないはともかく、一応はお話しましょう。

それは何かと申しますと、読経をすることは〝功徳くどく〟になるということなのです。そして功徳こそは、この世の人間が、あの世に持ちこせる唯一の財産であるということです。

私たちは実は、眼にも見えず、耳にも聞こえないいろいろな次元に関わりながら生きています。いつかお話をしましたが、家の中で口論をしたり、ガスや IH の周りを不浄にすると、失物をしたり盗難にったりします。またお稲荷いなりさまのやしろや家のお墓を荒れ放題ににすると、さまざまな災難に見舞みまわれます(驚かしてスミマセン!)。

読経をすることは、仏さまにも神さまにも大きな功徳が積めるのです。そして、その功徳はあの世に持ち越せる唯一の財産となるのです。おひつぎに一万札をどれほど入れても、あの世には持ち越せません。ただ、この世でどんな生き方をしたか、何をしたか、つまりどんな功徳を積んだかだけが残り、これをあの世に持ち越すのです。そうでなければ、私たちは生まれた時から、裕福も貧困もありません。堅固も病弱もありません。優等も劣等ありません。これ、信じていただけますか?

窮屈なお話になってしまいました。でも読経をすると、功徳になることは確かなのです。仏さまの教えですよ。どうか、皆さま・・・。

山路天酬密教私塾

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