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仏教
令和元年6月25日
数年前、ある弁護士さんの事務所を訪ねましたら、仏像の写真がたくさん飾ってありました。
そこで私が、「仏像がお好きなのですか」と聞きましたところ、「生々しい訴訟問題に関わっているので、仏像を観るとホッとするのです」という答えでした。たしかに、他人のやっかいなお話ばかり聞くのですから、仕事の合い間に仏像のやさしい姿に接したいのだろうと思いました。
いったい、私たちが仏像に心引かれる理由は何なのでしょうか。
心引かれるということは、実は同じものがあるからなのです。つまり、私たちの心に〈仏心〉があり、その仏心が仏像に心引かれるのです。同じものがあるからこそ、同じものどうしが互いに共鳴するのです。類が類呼ぶのです。ほかの理由など、あるはずがありません。
もし、私たちの心に仏心のカケラもないとするなら、仏像などに興味すら持つはずがありません。仏心があるからこそ、仏教の教理など知らずとも、仏像の知識すらなくとも、仏像に心引かれ、深く感動するのです。だからこそ国立博物館の「仏教美術展」に、何時間も並んでまで入場するのです。
仏師が仏像を彫るのも同じことです。木材の中から、どうしてホトケの姿が現れるのかというと、それも仏師の心に仏心があるからです。そうでなければ、ノミを打ってホトケの姿など、彫り出し得るはずがありません。
お寺で仏像に接する時は、ぜひこのことを思い出してください。「私の心に仏心があるから、ここに来たのだと」と、ね。