ウワサ話から離れる

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仏教

令和元年8月21日

 

かなり以前のことですが、忘れがたいほど賢い女性がおりました。

彼女はさほどには目立ちませんでしたが、ウワサ話が始まると、いつの間にかその場を離れるのです。それも、さり気なくです。その場の人には用事を思い出したようにさえ見えるのです。とても賢い女性だと思いました。ウワサ話について考える時、私は今でも彼女のことを回想するほどです。

およそ、ウワサ話ほど厄介やっかいなものはありません。同じような話があちこちに広がり、尾ひれがついて次第に誇張こちょうされるからです。まるで〈レベル1〉から〈レベル5〉へと段階を踏むかのように、その内容は誇張されて行きます。よく「ここだけの話」と言いますが、ここだけの話がここだけに終わることは絶対にありません。ここだけの話は、大いに広めてもらいたいと、ダメ押しをしていることと同じなのです。

「みんなが言っている」と言いますが、実はたった一人が言っているに過ぎません。しかし、そのたった一人のウワサ話はまたたく間に広がります。そして、そのウワサ話の当人の心を傷つけるばかりではなく、時には社会問題に発展し、時には命をうばうことさえあるのです。

これを「舌刀ぜっとう」といい、人のした(言葉)は刃物になることを示しています。その刃物が人を傷つけ、命を奪うのです。また、仏教のいましめで最も多いのも言葉のことです。不妄語ふもうご(ウソを言わない)、不綺語ふきご(尾ひれをつけて言わない)、不悪口ふあっく(悪口を言わない)、不両舌ふりょうぜつそむいたことを言わない)がこれです。ウワサ話が始まったら、ソッとその場を離れることです。

山路天酬密教私塾

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