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仏教
令和6年5月31日
京都の龍安寺に変ったつくばいがあります。「吾唯知足(吾れ唯だ足ることを知る)」の四文字が、〈口〉の字を中心に右回りに配置されたユニークな逸品ですが、ご覧になった方も多いと思います(写真)。
ところで、「足ることを知る」とはどういう意味なのでしょうか。一般には「欲をかかずに、与えられたもので満足しなさい」といった教訓として知られています。〈小欲知足〉などといいますよね。いわゆる清貧の思想です。
しかし私は、どうも腑に落ちません。仏教はそんな程度の教えとは思えないからです。お大師さまはズバリ、「眼あきらかなれば、途にふれてみな宝なり」とおっしゃっています。つまり、しっかりと目を開ければ、いたるところに宝があるということなのです。小欲どころではありません。
私は窮地におちいった時、この言葉にどれほど励まされてきたことでしょうか。活路は必ずあるのです。乗り越えられない苦しみを、自分が背負うはずはないと信じることです。ただ、気持ちが落ち込んだり、ヤケをおこしていると、その足元の宝、つまり窮地を乗り越えるヒントが見えません。
足元をしっかりと見ましょう。宝ともいえるヒントが必ずあります。その宝を見つけ出した時、人は足ることを知るのです。思い浮かんだ人がいたら連絡しましょう。故郷に帰って墓参をしてみましょう。久しぶりに書店をのぞいてみましょう。眼を開けば、そこに宝があるのです。