山路天酬法話ブログ
日本最大の護摩炉
令和7年10月26日
あさか大師の護摩炉は直系が80センチもあり、日本最大のものです(写真)。これは私が長年の実修経験から創案したもので、この炉を用いて毎日のお護摩を修しています。

護摩壇も炉も、本来は清らかな土にて作るのですが、日本では木製の壇、鋳物や真鍮の炉を用います。この炉は鋳物製ですが、壇は私の実家の土に砂とセメントを用いました。
私がなぜこのような炉を創案したのかと申しますと、皆様の護摩木が増えるとこのくらいの大きさが必要になるからです。また、先祖供養紙やお塔婆まで、作法にしたがってお焚き上げするためでした。
先祖供養紙やお塔婆には、私や弟子僧の読経はもちろんですが、皆様のたくさんの祈りが込められています。お焚き上げの作法は尊重せねばなりません。その場合、この護摩炉は大変に役立ちます。
真剣な祈りには、最後まで責任を持たねばなりません。お大師様に叱られぬよう、自問自答をくり返しています。また一つ二つ、と。
蘇生したカブトムシ
令和7年10月23日
今年7月、ある弟子僧の自宅玄関にカブトムシの〝死骸〟がありました。いや、死骸と思ったのは、その雌のカブトムシがまったく動くこともなく、ゴキブリほどに瘦せ細っていたからです。どう見ても、死骸にしか見えません。
その弟子僧はどこかに葬ってあげようとして、光明真言を何度も繰り返し、一心にお唱えしました。すると、どうでしょう。そのカブトムシの手足がわずかながら動き出したのです。しばらくすると蘇生し、歩き始めました。
その報告を聞いた私は、お寺に持参するよう伝えました。拝見すると、たしかに体が小さく、生き延びるかどうか心もとない状態でした。それでも、虫かごにヤシガラを入れ、水はもちろん、ハチミツやゼリーを与えました。
長らく餌にありつけなかったのか、その食欲は旺盛で、一週間もすると大きくなって来ました。今では肌ツヤもよく、健康そのものです。夜行性なので、夕方からは元気に歩き回っています(写真)。

それにしても、光明真言の功徳は絶大です。私は毎日、先祖供養として光明真言法をなし、念誦に専念していますが、初めての経験として忘れ得ません。昆虫専門店の話では、「そんな事情なら、長生きはしませんよ」とのことでしたが、いっこうに衰える気配がありません。むしろ、体力を持て余しているようにさえ見えます。
真言の功徳は動物にも効能します。医薬の力も大切ですが、お大師様は「呪力は通じて一切の病を治す」とおっしゃっています。今後は延命祈願を兼ねてお唱えしたいと思っています。
10月に桜が咲いた
令和7年10月21日
「秋桜」とはコスモスのこと。ほかに「十月桜」という品種があり、春と秋とに二度咲きます。ところが、ソメイヨシノでありながら、10月に開花する奇妙な現象があります。あさか大師の桜並木にも、わずかながら花開いた姿が散見されました(写真)。

まず、この夏の猛暑が関係していることは、容易に推測されましょう。すでに落葉しているのに、何らかの影響で植物ホルモンの働きが変わったように思われます。桜もこの異常気候には迷うばかりです。
野菜や果物の栽培、魚の水揚げも変わりました。スーパーから日本の果物が消え、熱帯地の魚ばかり並ぶ時代が来るのでしょうか。かつて「終末」という言葉が流行りましたが、その終末を乗り越えるべく、私たち一人一人ができることをしなければなりません。この地球も、この日本も、私たちが住む大切な自然です。
今宵は新月。蒼茫とした木立に光はなく、水墨画のような景観が闇に迫ります。地球はいずこに、日本はいずこに。
金運宝珠護摩の功徳
令和7年10月19日
本日は午前11時半より金運宝珠護摩を奉修して、たくさんの皆様が参詣しました。皆様が僧侶と共に声高く読経し、堂内に如意宝珠の功徳が遍満しました(写真)。また、遠方の方には同時祈念をおすすめし、それを実行していただきました。

なお、お護摩の前には新一万円札の渋沢栄一について法話をしました。渋沢栄一は幕末、本県深谷市の農家に生まれましたが、農作業のかたわら、懸命に『論語』を学びました。そして、生涯に500もの会社を創立しましたが、思想の根底は常に「論語とそろばん」でした。『論語』は道徳、そろばんは商売を意味します。
道徳と商売は矛盾するように思う方もいるでしょうが、それは間違いです。すぐれた商人は、道徳的にもすぐれた人物であることは間違いありません。なぜなら、お客様を大切にして、お客様が喜ぶことを提供し、互いに利益を上げるためには、誠実で礼儀正しい道徳の力が必要だからです。
人をだまして利益を上げても、一時的には裕福になるでしょうが、いずれは信用を失い、必ず破産します。与えずして得たものは、つぐなわねばならないからです。
この金運宝珠護摩は人徳の向上による、金運増大を目ざしています。「論語とそろばん」とは言い得て妙、すばらしい金言です。肝に銘じねばなりません。
人徳と金運は矛盾するのか
令和7年10月17日
あさか大師では19日(日)午前11時半より、〈金運宝珠護摩〉を奉修いたします。ご参詣の皆様は直接にお護摩のパワーをいただき、金運銭(写真)をお守りにしてそのパワーを持続させてください。遠方の皆様は同時祈念によって感応道交をはかり、金運増大を目ざしましょう。

この金運宝珠護摩は、人徳の向上によって金運を向上させることを目標にしています。人徳と金運は矛盾するように思うかも知れませんが、それは間違いです。すぐれた事業家や資産家は、礼儀正しく、約束を守り、誠実で、人に好かれ、社会に喜びを与える人徳があるからです。
渋沢栄一はこれを、「論語とそろばん」と表現しました。論語は道徳、そろばんは商売を意味します。道徳的にすぐれなければ、すぐれた商人にはなれないと、ずばり喝破しています。
ややもすると、人は「相手が損をするだけ、自分は儲かる」と思いがちです。しかし、お金は互いに利益がなければ動きませんし、自分にも入って来ません。人が喜ぶことを与える人が、自分もまた喜べるからです。才能も大切ですが、人は結局、行きつくところ人徳に尽きるのです。
お金に対する正しい見識をもって仕事に励み、人にもお金の神様にも好かれましょう。論語とそろばんです。
あさか大師の御朱印
令和7年10月15日
あさか大師では御朱印も受付けており、最近はご希望の方が増えています。寺紋の桜模様の料紙で、ちょっと派手な御朱印です(写真)。

筆書きは「奉拝 あさか大師 遍照殿 令和〇年〇月〇日」と読みます。特に〈奉・殿〉は草書体で読めないと思いますが、御朱印ではよく使われる書体です。
お寺への参詣に、御朱印帳を持参なさると、記念にもなり、励みにもなります。ところが、現代はお坊さんの〈小僧教育〉がないためか、書道の稽古が足りません。お札やお塔婆を見ても、ガッカリすることがあります。
お坊さんはやはり、お経と書道だと思います。つまり、読経ができて達筆であることが、きわめて重要だからです。世間では「お坊さんは字がうまい」と思っているのですから、もっと励まねばならないと思います。
お大師さまは日本書道の筆頭です。中国書道の書聖・王羲之(東晋時代)に並ぶ方は、お大師さましかいません。だから、特に真言宗のお坊さんは、宗祖の書を学ぶ責務があります。そのお大師さまでさえ、「数々、古人の至意をうかがう(性霊集)」とあり、書道古典の極意を学んでいるとおっしゃっているのです。戒めねばなりません。
社員の心を一つにするために
令和7年10月13日
一昨日、ある土木会社の社員が全員で集まり、社運隆昌と工事安全の祈願をしました(写真)。時には危険を伴う土木工事は、何よりも点検と安全を心がけねばなりません。社長さんをはじめ、社員一同が真剣な祈りを込めました。

言葉は大切で重宝ですが、言葉だけで人の心はまとまりません。それには神聖な「儀式」が必要だからです。仏壇や神棚があって親や祖父母が礼拝という儀式をすれば、子供は言わずとも真似をします。そして、一家の心が一つにまとまります。
学校に入るには入学式があり、結婚するには結婚式があります。宮参り・七五三・成人式・還暦祝・米寿祝、みな同じです。人の一生は、こうした儀式によって成立するのです。儀式がなければ、人はそれを〝実感〟することができません。
この社長さんはどのような訓示よりも、お護摩の浄炎と読経の響きこそ、社員の心を一つにすることを知っているのです。このような心ある社長さんが増えてきたことは喜ばしいかぎりです。「仏教はむずかしいかも知れないが、信心があればやさしく教えられる」とお大師様はおっしゃっています。
愛染明王と不動明王
令和7年10月11日
あさか大師の本尊〈厄除弘法大師〉の両脇には、不動明王と愛染明王がお祀りされています。その理由は、お大師様の右手の法具(五鈷杵)は金剛界の愛染明王(写真上)を、左手の縄(羂索)は胎蔵界の不動明王(写真下)をそれぞれに表しているからです。


いずれも人間の煩悩を降伏せんがため、忿怒の形相をしています。お大師様は悟りを開かれて、柔和でふくよかなお顔ですが、そのご誓願はけわしく、きびしいものでした。そのためには、このようなお姿が必要だったのです。
そのご誓願とはこの世に人間の苦悩があるかぎり、自分の苦悩も尽きることはないという、とてつもなく遠大なものでした。そのためにも、日輪や火焔を背負い、怖い形相をしたお姿が必要だったのです。
何を成し遂げるにも、きびしさがなくてはなりません。「仏様は慈悲深い」などと甘えてはなりません。慈悲とはきびしく、はげしいものです。私たちの人生に、幾多の試練が与えられるのはそのためです。
だから、乗り越えられない試練は与えられません。活路は必ずあります。仏様を信じるとは、自分を信じることであり、自分を信じる人が乗り越えられることを教えているのです。お大師様がおわします。そして、忿怒尊が試練を与えてくださいます。
サッカー部の必勝祈願
令和7年10月8日
一昨日、地元高校のサッカー部80名が、監督・コーチ・父兄と共に必勝祈願に参集しました(写真)。父兄は千羽鶴を織って護摩壇の前に供え、一心に祈りを込めました。

埼玉県は〈浦和レッズ〉や〈大宮アルディージャ〉のお膝元であり、サッカーの強豪高校が並ぶだけに、彼らはきびしい練習に励んでいます。それでも、堂内の異次元空間に入るや、お大師様の尊前では緊張の連続でした。
彼らは原野を突き進む虎のように狙い、立ちはだかる厚い壁に向かって、今日も挑戦を続けています。健康な体は毬のように弾み、その熱気を放ちながらグランドに走って行きました。日焼けした顔からのぞかせる白い歯が、いつまでも私の記憶に残りました。
この世の月、あの世の月
令和7年10月7日
幼い頃、東の空に昇った月の隣りに、もう一つの淡い月の姿を見たことがありました。私は何だろうと思いつつも、誰に話すこともなく、記憶からもしだいに薄らいでいきました。
ところが三十代になって、ある山奥の断食道場に入門した折、二つの月を描いた絵が目につきました。その意味を道場主に問いましたところ、「片方はあの世(霊界)の月です。あの世にも、この世と同じように月があるのです」という答えでした。私はたちまち幼い頃の記憶が甦り、あ然としたものでした。後年、私が「双月子」という雅号を名のったのは、この体験からの由来です。
昨夜は陰暦八月十五日の〈中秋名月〉でした。そして今夜が天文上の満月で、一日のズレがあります。関東地方はいずれも曇り空で、残念ながら〈お月見〉が叶いません。
そこで、あの世の月に供える意味で、ススキとお団子(弟子僧の手作り)を飾りました(写真)。ススキの右上あたりに、あの世の月があるかも知れません。花器は平安時代の瓦製経筒で、写経を埋葬した容器です。

見えない月に供えるのも粋なものです。境内の地面と、桜並木と、曇り空がおりなす影絵に、お供えが映えました。桜木の枝は重なり、暗夜の虚空に秋のレジェンドがそこにいます。

