山路天酬法話ブログ
「災難除」とは何でしょう
令和5年12月12日
厄年と並んで「災難除を必要とする年」も大切です。令和6年では、八白(衰運に入る)・六白(表鬼門に入る)・三碧(八方ふさがり)・九紫(裏鬼門に入る)の人がそれに該当します(写真)。つまり、この中のある特定の年齢を「厄年」ということなのです。
簡単に説明をしましょう。
八白の人は北の坎宮に入り、「衰運に入る」と見ます。つまり、運気が最も衰える年です。前回もお話をしましたが、この中で数え年の女性33才と男性42才の方が大厄です。この年に病気をしたり、災難にあうと、意外に長引きますので注意しましょう。
六白の人は東北の艮宮に入り、「表鬼門に入る」と見ます。変化変動の多い年で、ささいなことでも慎重に行動しなければなりません。うまく進んでいたことが、急な異変を招きやすい年なので、注意しましょう。
三碧の人は中宮に入り、「八方ふさがり」と見ます。つまり、じっくりと腰をすえて構え、小休止の年と心がけましょう。この年にあまり動くと、うまくいきません。動きがとれないというより、皇帝の座(中宮)にいるのですから、ウロウロしてはいけないということです。
九紫の人は西南の坤宮に入り、「裏鬼門に入る」と見ます。前年の「衰運に入る」に続いて運気が渋滞し、あせりを覚えます。つまり、忍耐の年と心がけましょう。次の年に向けて、十分な準備をすることが大切です。
ついでですが、この〈災難除〉を〈方位除〉という寺院や神社があります。しかし私は、方位除は悪い方角への災いを祓うのですから〈方災除〉というべきだと考えてます。新年には厄除・災難除をするのが昔からの風習です。多くの方々が関心を持つのは、それなりの根拠があるからです。皆様、節分までに、あさか大師のお護摩にお参りください。
正しい厄年を知りましょう
令和5年12月7日
あさか大師では令和6年の厄年早見表を発表し、皆様のご祈願を受け付けております(写真)。この早見表を見て、ぜひ正しい厄年を学んでいただきたいと思います。
注意していただきたいことは、必ず数え年で見るということ。つまり、生まれた年を1才として数えるということです。なぜなら、私たちはお母さんの胎内で約280日(40週)を過ごしますから、生まれた年を1才としなければ厄年のルールに合いません。
現在はこのことが曖昧で、満年齢でご祈願をする寺院や神社が多いのは大変に残念です。それは暦や九星気学を学べば明白なことで、満年齢で見ると盛運の年を厄年にしてしまうことにもなりかねません。
たとえば、女性33才と男性42才の大厄の年は、九星気学で必ず北の坎宮(最も衰運する年)に入ります。つまり、生まれた年の中宮から33年目と42年目はこの坎宮に入るということです。このルールを知っていれば、厄年は必ず数え年で見なければならない理由がわかるはずです。このブログをご覧になった皆様は、どうか数え年に親しんでいただきたいと思います。なお厄年ではなくとも、運期が衰える災難年については、次回お話をいたします。
厄除のお護摩は元旦から節分(2月3日)まで午前9時~午後4時の間、30分おきに奉修します。ぜひ、「厄除のお大師さま」にお参りください。
人生を変える先祖供養の集い
令和5年12月4日
あさか大師では一昨日と昨日、先祖供養の総回向の法要があり、たくさんの方がお参りしました。そして、僧侶の方はもちろんのこと、参詣者が全員で読経し、マントラ(光明真言)を唱えました(写真)。
あさか大師の先祖供養は、
①自分のルーツとして父母の両家を供養すること。
②お導師の密教修法とご信徒の祈りを融合させること。
③毎日続けながら月ごとに総回向の法要をすること。
の三点に特徴があります。単なる弔いではなく、「人生を変える先祖供養」です。不思議なことがおこりますので、若い方も大勢いらっしゃいます。ご関心をお持ちの方は、ホームページ「お問い合せ」からご連絡ください。
12月の強運ランキング
令和5年12月1日
12月7日~来年1月5日までが、正確な12月です。
甲子・七赤金星の月で、東(五黄殺)・西(暗剣殺)・南(月破)が凶方となり、注意を要します(写真)。12月を〈師走〉といいますが、お寺の師僧が年末の法事や新年の準備で走り回っている様子がその語源です。〈甲〉は〈伸びる〉に通じ、陽気の発動が始まる時です。また〈子〉は〈孳〉が源字で、新しい生命が芽生える様相を示します。そして七赤金星は〈兌〉、すなわち〈悦び〉の象意です。来年に向けての計画を立て、意欲を芽生えさせ、かつ年末の忘年会も楽しめる喜悦の月としましょう。
12月の強運ランキングは一位が六白金星、二位が八白土星、三位が五黄土性です。
六白の方は11月に続いて運期好調となります。聡明で明るい品格を生かし、周囲を活性化しましょう。ハメを外さず、持ち前の信用とリーダーシップを発揮していただきたいものです。意外なところに問題解決のヒントが隠れていますので、しっかりとアンテナを張って注意深く観察しましょう。
八白土星の方は、この年末に至って努力が実ります。目先の利益にとらわれず、相手の求めに誠実に対応することで、大きな収穫がありましょう。また今月は特に、目上運でもあります。上司への気配りを怠らず、望んでいるものに答えれば、思ってもみない成果が得られるはずです。
五黄土星の方は、新しいスタート台に立ちました。この一年を反省し、謙虚に進めば、曇り空にも光がさしましょう。大将の器をもって行動し、謙虚な姿勢で精進すれば、あなたの力量は必ず認められるのです。わずらわしい問題にも真剣に立ち向かい、一歩先を考えて進みましょう。
上記以外の方は、ホームページの「今月の運勢」をご覧ください。また、来年の〈厄年一覧表〉も発表しました。一喜一憂するだけではなく、厄年こそ〈役年〉と心得えて、身辺整理に努めましょう。そして、準備に努めましょう。開運への根回しこそ、本当の〝開運〟を呼ぶのです。
夢枕に立ったお不動さん
令和5年11月27日
あさか大師の護摩壇の脇に大きなお不動さんが安置されています。これは私の友人であった故・水野只道氏が礼拝していたもので、遺言によってここに移されたものです(写真)。
水野氏は八丈太鼓(八丈島に伝わる郷土芸能)の継承者で、各地の催場で演奏を続けつつ、後進の指導にも尽力しました。太鼓への求道心は強く、深奥の境地に向かって精進を続ける毎日でした。
ある夜、氏の夢枕に不動明王が立ち、あまりの気迫に目を覚ましました。お不動さんにもいろいろな尊像がありますが、その時のお姿が、いわゆる〈立ち不動〉であったことは間違いありません。
ところが数日後、さる店頭でその夢枕とそっくりのお不動さんに出会ったのです。また奇妙なことに、意外なところから突然の収入もあり、氏はさっそくそのお不動さんを購入しました。こういう時には、不思議とお金の都合がつくのでしょう。体長三尺二寸(約96センチ)で、高野山南院の有名な〈波切不動〉と同寸です。
私は氏の招きで、毎月28日には目黒区の自宅に出向いて読経をしていました。昨年、氏は惜しくも他界しましたが、あさか大師での一周忌法要ではお弟子さんたちによって追悼演奏が捧げられました。私がこのお不動さんを継承したのも、奇しき縁というほかはありません。
六地蔵さんの顔が変わった!
令和5年11月24日
あさか大師の六地蔵さんは大変に人気があり、近在の方々がお賽銭を持ってお参りに来ます(写真)。
以前にも書きましたが、この六地蔵さんはあるタクシー会社の社長さんが、交通安全祈願のために購入したものです。ところが、ただ道路脇の汚い場所に置かれていたので、私が「こんなことではお粗末になりますよ」とお話したところ、「では、お寺に移して拝んでください」ということになったのです。
ところが当初は、長い間ご供養もされず、読経もされなかったせいか、六体とも大変にきつい怖い顔でした。そこでお体をよく洗い清め、香花を供え、開眼をして拝むようになってから、その顔がしだいにやさしい笑顔に変わりました。信じられないという方もいらっしゃるでしょうが、これは関係者の誰もが知る事実です。
そこで、大事なお話をいたしましょう。皆様は仏さまだから拝むと思っているでしょうが、実は拝むから〝生きた〟仏さまになるのです。つまり、仏像として彫られただけでは、ただの仏さまの形に過ぎません。それが開眼して魂を入れ、読経して拝むようになると、生きた本当の仏さまになるのです。つまり、仏さまだから拝むのではなく、拝むから仏さまになるということです。もちろん、物質的には同じ石の彫りものですから、違いがあるはずはありません。しかし実際には、はっきりとした違いが生じます。
この六地蔵さんも、こうして立派な仏さまになりました。このやさしい笑顔を拝むと心が安らぎますと、皆様がおっしゃいます。このブログを書いている今も、お隣の老人ホームの方が車イスでお参りしています。「お地蔵さん、元気で長生きできますように」と。
不動愛染両明王の開眼
令和5年11月20日
昨日は〈金運宝珠護摩〉が奉修され、大勢の参詣者で本堂がいっぱいになりました(写真)。皆様から「不思議なことがおこります」とのご報告も多く、その祈りはますます真剣です。
また同時に、皆様の報恩謝徳によって奉安された〈不動愛染両明王〉が開眼され、お大師さまのご威光がますます輝きました(写真)。なぜなら、お大師さまの左手にお持ちの念珠は不動明王の羂索(なわ)を表示し、右手の法具は愛染明王の五鈷杵(五智の象徴)を表示するからです。不動明王は胎蔵界、愛染明王は金剛界、お大師さまは両部不二の如意宝珠で、その如意宝珠の霊験がさらにあらたかになりましょう。そのことは、あさか大師の本堂に入れば、すぐに実感するはずです。
残すところ、一ケ月余りで新年を迎えますが、「厄よけ大師」の尊号が宣揚することは間違いありません。新年の厄除・災難除祈願へもお問い合わせもたくさん寄せられています。なお、令和6年の〈厄除・災難除早見表〉はホームページの「厄よけ・災難よけ」からご検索ください。新年の初詣で、皆様にお会いできますことを願ってやみません。
交通事故霊験談③
令和5年11月15日
最後に私の祖母の話をしたいと思います。私は母が体が弱かったため、何かとおばあちゃん子として育てられました。祖母は仏壇での毎日のおつとめはもちろん、お寺参りにも熱心でした。お葬式を予測するのが得意で、それがよく〝当たって〟いたのを思い出します。また私が28日に生まれたことから、よく「お不動さんの日を忘れてはいけないよ」と言い聞かされたものです。そして、不動尊が菩提寺の本尊でもあったことから、手を引かれてお参りしたものでした。
私が小学校2年生のことでした。ある日、祖母は嫁いだ長女の息子さん、つまり私の従弟が運転する車に乗って、宇都宮に向かっていました。当時の郷里には舗装道路などなく、しかも急カーブの多い悪路続きです。その場所も急カーブでしたが、10メートルもの断崖を眼下にした危険地域だったのです。もちろん、ガードレールなどありません。
かなりスピードを出していたのでしょう。路面の大きなくぼみを避けようとしたとたん、タイヤが横すべりをおこして、断崖に転落しました。対向車はなく、静寂を破った大事故でした。従弟はほとんど意識を失っていました。メガネのレンズも割れて顔に刺さり、血だらけになっていたといいます。
ところが祖母はかすり傷ひとつなく、断崖をよじ登って通行の車に助けを求めました。従弟は病院に運ばれ、一命を取り留めました。私は祖母からこの体験を何度も聞かされ、いざという時には仏さまが守ってくださるという意識をうえつけられたのです。祖母が語ったことは、その時、自分の体が綿のようなものでつつまれたということでした。仏壇に合掌しながら、御礼の言葉をくり返していました。私は後年、その場所を何度か通りましたが、とても無事ですむ断崖とは思えません。潜在光景としていまだに焼きついています。遠くて、とても近い記憶です。
交通事故霊験談②
令和5年11月11日
次にお話する方もご信徒の女性で、現在94歳のKさんです。若い時から病難をかかえ、入退院をくり返していました。それでも信仰心が篤く、ご先祖への供養にも熱心でした。また霊的な感応も強いため、不思議な体験には枚挙にいとまがありません。
今から20年ほど前のことでした。Kさんは当時、山梨県笛吹市に居住し、よく石和温泉で湯治をしていました。その帰り、道路工事のために道の中央に寄ったとたん、バックしてきた乗用車にはねられ、倒れた自分の体は、タイヤの下敷きになりました。道路工事の方々がそれを見るやすぐに駆けつけ、まずは車を誘導してくれました。運転していたのは温泉の女将さんで、顔なじみであったようです。救急車もすぐに到着し、病院に運ばれました。Kさんはぼんやりした意識しかなかったようです。
レントゲンの結果では、脊椎と頸椎に骨折がありましたが、内臓に異常はありませんでした。普通では考えられません。そして1ケ月ほど入院治療をしましたが、無事に退院しました。知らせを受けた私は、この事故も記録に残したいと考え、Kさんに当時の様子をうかがいました。
その瞬間、Kさんはまるで空中に浮かんだような感覚で、何の痛みもなかったというのです。そして、まぶしい光につつまれた感覚が残っていると語ってくださいました。このような感覚は私にもわかるので、Kさんのお話しは充分に納得しました。日ごろの信仰の賜ものであることは間違いありません。奇跡は光によって象徴されるからです。
Kさんはその後も特に後遺症はなく、現在は東京都町田市に転居して、長女と共に元気に過ごしています。高齢にもかかわらず、電車を4回も乗り換えつつあさか大師にお参りする姿はみんなのお手本です。もともと不思議な体験をしてきた方ですが、私は霊験談として忘れ得ぬ記録となりました。
交通事故霊験談①
令和5年11月8日
今回は、私が見聞した三名の方の交通事故霊験談をお話したいと思います。もちろん、すべて実話です。
はじめはご信徒のお子さんS君(男子)で、当時5歳でした。場所は東京都文京区内の自宅前の道路上でした。大きな交差点近くで車も多く、もともと交通事故の多い場所であったようです。S君はちょうど自宅とは反対側の歩道におりましたが、自宅側でお母さんがちょうど車が途絶えた折に、渡って来るよう手招きをしました。S君は日ごろから車には充分に注意するよう言い聞かされていましたから、左右を確認して急いで横断しました。
そして、歩道から5メートルほど渡ったその時です。青信号に変って交差点を左折したタクシーが、スピードを上げて突進してきました。お母さんが大声を上げたとたん、S君はタクシーの正面ではねられ、しかも路上に倒れたその体に片方のタイヤが乗り上げました。もちろんタクシーは急いでバックしましたが、現場は大騒ぎです。救急車もすぐに到着しました。
本来なら、ろっ骨は砕け、肺も破れて当然の事故です。ところが何と、S君は軽い打撲があった程度で、すぐに自宅に戻って来ました。両親の安堵がいかほどであったかは、想像に難くはありません。私はこの知らせを受けてただちに、この不思議な霊験を記録すべく、すぐにS君を訪ねました。見れば、着用していた赤いТシャツにはタイヤの跡が生々しく付着しているではありませんか。
私はS君の緊張をやわらげつつ、その時の様子を静かに問いました。ほとんど意識もなく、一瞬の出来事であったことは予想したとおりでありましたが、特記すべきはタクシーにはねられるその瞬間、仏壇の上に飾ってある写真の人が見えたということでした。この家の仏壇には、当主の両親の写真が飾られていることは私も知っていましたので、すぐさま「なるほど!」と思いました。つまり孫を想う祖父母の気持ちが、この霊験を生んだのです。
S君はその祖父母の生前には生まれていませんでしたが、先祖の霊とはこのように結ばれていることの証明でありましょう。私はS君のその赤いТシャツを借り受け、祖父母への報恩供養を修したことは申すまでもありません。先祖供養に熱心な家には、このようなことがおこるというお話です。