山路天酬法話ブログ
一日には十日分の価値がある
令和6年6月9日
貝原益軒(江戸時代の本草学者・下写真)は、「齢をとったなら、一日を十日とも思って大切にすべきである」と、その著書『養生訓』で述べています。つまり、齢を重ねるにしたがって、月日は矢のように早くなるから、一日には十日分の価値があると思ってムダにしてはいけないという意味なのでしょう。なかなか頭の痛いお話です。
また、他人の過失が気に入らなくとも、「梵人だから無理もない」と寛大に受けとめ、決してとがめたり、怒ったりしてはいけない。時間を惜しんで楽しく日々を送るべきだと述べています。さらに、朝は静かな部屋で香をたき、聖人の教えを声を出して読み、心を清めて俗念を去るがよい。風のない日は庭に出てゆっくりと歩き、野の花を愛し、季節の風景を楽しむがよいとも述べています。
益軒は84歳という、当時としては異例の長寿をまっとうしました。著作活動も旺盛で、視力もよく、一本の歯もぬけていなかったようです。妻のハツ(東軒)は22歳も若い女性でした。夫婦の仲はむつまじく、共に音楽を趣味としました。益軒は琵琶を、東軒は筝を得意として、よく二人で合奏していたようです。
貝原益軒の生き方は私にもお手本となりますが、さて、どうでありましょうか。一日を十日とも、十日を百日とも、一ケ月を一年とも思えるか否かです。でも、心がけだけは持ち続けましょう。
6月の伝道法語
令和6年6月8日
6月の伝道法語です。
年齢を重ねれば、誰でも体力は衰えます。視力も脚力も衰えます。しかし、それは同時に体力を必要としない過程でもあるのです。経験を積み、知恵をみがき、人生の苦しみを乗り越えていく過程なのです。
現代人の多くは食事の栄養価も高く、健康への情報も豊かで、医薬品もサプリメントも欠くことはありません。長命であるだけに、昔の人よりはるかに若々しいはずです。それだけに、希望をもって年齢を重ねたいものです。
謙虚に学ぶことを忘れず、知恵をみがきましょう。年齢を重ねることを苦しみとせず、上手に乗り越えましょう。苦しみに耐えることは大切ですが、上手に乗り越えることはさらに大切です。希望をもって年齢を重ねることを、むしろ楽しみといたしましょう。
「人生を変える先祖供養」の集い
令和6年6月5日
あさか大師では6月1日(土)・2日(日)の午後1時より、総回向法要(先祖供養)があり、多くの皆様が集い、熱心に読経をしました(写真)。
この先祖供養は単なるご回向ではなく、ご自分のルーツにアプローチをして、人生を変えることを目標にしています。その主旨は、
①父母の両家(既婚者は四家)を共に供養すること。
②お導師とご自分の祈りを融合させること。
③毎月継続して、月ごとに総回向をすること。
の3点となります。むずかしいことは何もありません。一ケ月お祈りした功徳を、お大師さまのもとにお届けすればよいのです。会費は一ケ月2千円で、毎日の供養が受けられます。関心のある方はホームページ「お問い合わせ」からご連絡ください。新たなご参加をお待ちしております。
6月の強運ランキング
令和6年6月2日
6月5日~7月5日までが、暦法での6月です。庚午・一白中宮の月で、南が五黄殺、北が暗剣殺・月破となり、注意が必要です(写真・地図とは逆に下が北になります)。
6月は梅雨に入り、雨や湿気が多くて暮らしにくい時節です。気象予報に耳を傾け、体調管理には充分に配慮しましょう。干支の〈庚〉は変化を、〈午〉は突破を意味し、また一白水星は思索や柔軟性に富んだ象意を示します。
6月の強運ランキングは一位が九紫火星、二位が二黒土星、三位が三碧木星です。
九紫の人は幸運に恵まれ、実力を発揮するチャンスとなります。のんびりと構えるのではなく、何事も積極的に出ることを心がけましょう。また、特に遠方からの情報には幸運があります。
二黒の人はこれまでの努力が報われて、成果を得ます。労を惜しまず、さらに前進しましょう。また、特に目上や上司の引き立てが好機を生むことも心得ることです。
三碧の人は交友が広がり、仕事も趣味も多忙になります。金運にも恵まれる月ですので、信仰への精進にも力を注ぎましょう。ただし、散財には注意が必要です。
そのほかの人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。
「足ることを知る」の本当の意味
令和6年5月31日
京都の龍安寺に変ったつくばいがあります。「吾唯知足(吾れ唯だ足ることを知る)」の四文字が、〈口〉の字を中心に右回りに配置されたユニークな逸品ですが、ご覧になった方も多いと思います(写真)。
ところで、「足ることを知る」とはどういう意味なのでしょうか。一般には「欲をかかずに、与えられたもので満足しなさい」といった教訓として知られています。〈小欲知足〉などといいますよね。いわゆる清貧の思想です。
しかし私は、どうも腑に落ちません。仏教はそんな程度の教えとは思えないからです。お大師さまはズバリ、「眼あきらかなれば、途にふれてみな宝なり」とおっしゃっています。つまり、しっかりと目を開ければ、いたるところに宝があるということなのです。小欲どころではありません。
私は窮地におちいった時、この言葉にどれほど励まされてきたことでしょうか。活路は必ずあるのです。乗り越えられない苦しみを、自分が背負うはずはないと信じることです。ただ、気持ちが落ち込んだり、ヤケをおこしていると、その足元の宝、つまり窮地を乗り越えるヒントが見えません。
足元をしっかりと見ましょう。宝ともいえるヒントが必ずあります。その宝を見つけ出した時、人は足ることを知るのです。思い浮かんだ人がいたら連絡しましょう。故郷に帰って墓参をしてみましょう。久しぶりに書店をのぞいてみましょう。眼を開けば、そこに宝があるのです。
続・偉大な発想は何から生まれるのか
令和6年5月27日
18世紀のフランスに、ジャン・ジャック・ルソーという偉大な思想家がおりました(写真)。私はたまたま誕生月日が同じという奇遇も手伝ってか、若い頃からこの思想家に興味をいだき、その著書も愛読しました。ちなみに、童謡の『むすんでひらいて』はルソーの作曲です。歌詞(作詞者不明)は「もめごとがあった時は、互いに手をゆるめよう」というのが本当の意味です。
ルソーは著書の中でこんなことを述べています。
「歩くということは、私を生き生きとさせ、思索を活性化させるものがある。じっとしていると、私はほとんど何も考えることができない。私の精神を動かすためには、私は動いていなければならないのだ。田園の眺め、心地よい景色、大気、それらすべてが私の魂を開放し、思想をいっそう大胆に導く。私の心は気に入るものを統合し、一体化し、美しい映像に囲まれ、甘美な感情に酔いしれる」(『告白』一部中略)。
およそ散歩という日常の行為を、これほど知的に昇華させた人はいないと思います。ルソーは孤独でありましたが、孤独とさびしさは異なるものです。そして、人はその本質が孤独であることも知らねばなりません。孤独を自覚してこそ、人は自分に立ち返り、求める幸福から与えられた幸福を知ることができるのです。さびしいと思うのは、あれがあればこれがあればと、幸福を外に求めるからです。
皆様の近辺にも、心を癒せる場所が必ずあるはずです。本来の自分にもどれる時間を、ぜひ作ってください。太陽の光は幸せホルモンとなり、自然の草木は絵画となり、鳥のさえずりは音楽となるのです。
偉大な発想は何から生まれるのか
令和6年5月26日
あさか大師から新河岸川に沿って遊歩道を1キロほど東南に進むと、「わくわく田島緑地」に出ます(写真)。美しい自然に恵まれ、散歩には絶好のコースとなります。私は毎日、運動靴をはいてここを散歩するのが日課になりました。
また、当所は新河岸川が荒川に合流する要所でもあり、池波正太郎著『鬼平犯科帳』の名作「大川の隠居」で〈川越船頭〉が暗躍する舞台でもあります。私はことのほか鬼平ファンでありますから、時が変わった240年後の景観を、ひそかに楽しんでいることになりましょう。
散歩をして10分ほどすると体温が上がり、血行が促進し、意識はいつの間にか日常から離脱します。足を使って歩くことにより、眼前の景観が脳を刺激して時空を超えるからです。知的世界が開け、新しい発想が生まれることは間違いありません。
私はお釈迦さまやお大師さまは、偉大な瞑想の行者であると共に、〈旅の行者〉であったと思っています。お釈迦さまは生涯にわたって、インド各地の伝道布教を続けました。お大師さまは若き日に奈良や四国を練行し、後には京都と高野山を巡錫しました。偉大な発想はこうした旅の途中で生まれたのです。
お遍路(巡礼)をして病気が治ったり、新しい生き方に目覚めるのは、足を使って歩くことにより、身も心も変わるからです。足は第二の心臓です。そして全身の縮図です。足の裏をもむ健康法があるではありませんか。
散歩なら費用はかかりません。トレーナーも不要です。年齢も問いません。皆様もぜひ、一日30分ほどの散歩を実行してください。今までとは別の人生が開けます。考えがまとまり、アイデアがひらめきます。もしかしたら、「人間は考える足?である」かも知れません(笑)。
最勝の陀羅尼とは
令和6年5月23日
真言密教では仏頂尊勝陀羅尼・宝篋印陀羅尼・阿弥陀陀羅尼を「三陀羅尼」として尊重し、毎日の勤行でお唱えします。この中で、三番目の阿弥陀さまに関しては皆様にもよく知られ、お寺の本尊としてもお祀りされています。ところが仏頂尊となると、どういう仏さまなのかよくわかりません。またお寺で宝篋印塔という石塔をよく見かけるものの、説明されることはほとんどありません(下写真)。
そこで私は、このたび『尊勝仏頂法・宝篋印経法』という行法次第(供養の方法)を刊行し、ご住職さま方に仏頂尊や宝篋印塔への関心を深めていただきたいと考えました(下写真・青山社刊)。
仏頂尊とは仏さまの頭上に盛り上がった仏智(肉髻といいます)を、尊格として象徴した仏さまです。よく不機嫌な顔つきを「仏頂面」などといいますが、とんでもないことです。仏さまの智恵が最も集まっているので「尊勝」とお呼びするのです。
また宝篋印塔という石塔も五輪塔(光明真言の塔)と並んで、その功徳ははかり知れません。そのことは『宝篋印陀羅尼経』に明記されています。つまり、「三陀羅尼」は光明真言と共に、先祖供養への最勝の陀羅尼だといえるのです。
私のささやかな刊行によって、ご住職さま方が三陀羅尼への意欲をさらに深めていただくことを願ってやみません。
金運宝珠護摩の参詣
令和6年5月20日
昨日、金運宝珠護摩が奉修され、パワーあふれる如意宝珠の浄炎に、大勢の皆様が参詣されました(写真)。
金運宝珠護摩は毎月第三日曜日の午前11時半からです。参詣の皆様には全員に〈金運銭〉を差し上げ、一ケ月後に返却していただいて、新しい金運銭をまた差し上げています。
この金運宝珠護摩に参詣すると、「給料が上がった」「仕事が増えた」など、多くのご報告が寄せられます。このブログを初めてご覧になった方も、ぜひご参詣ください。不思議な霊験が訪れます。
明日が金運宝珠護摩
令和6年5月18日
あさか大師では明日の午前11時半より、人気の〈金運宝珠護摩〉が奉修されます(写真上)。お詣りの方には全員、金運銭(写真下)を差し上げ、金運増大のお加持をいたします。
現代生活において、お金はきわめて重要な意味があります。この金運宝珠護摩は、お金に対する偏見を正して認識を改め、お金に愛される生活を目ざすものです。これについてはお護摩に先立って、法話もいたします。護摩木(一本200円)は玄間にてお申し込みください。皆様のご参詣をお待ちしております。