〈令和〉の始めに

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社会

令和元年5月1日

 

新しい〈令和〉の時代となりました。

私はほとんどテレビすら見ない生活をしていますが、さすがに夕方になって、ちょっとだけチャンネルを回しました。令和の時代に何を望むかという街頭インタビューに対し、ほとんどの方が「平和で安心して暮らせる社会」といった答え方をしておりました。

私はこのような言葉を聞くたびに、複雑な気持ちになるのでございます。なぜなら、私は「平和で安心して暮らせる社会」など、この世には存在しないと思っているからでございます。いつ大震災がくるとも限りません。道を歩いていても、鉄パイプが落ちてくるかも知れません。健康だと思っていても、いつ病気が発覚するかわかりません。投資した株が暴落するかも知れません。航空機の墜落もあれば、ウイルスの感染もあります。医療ミスもあれば、行政ミスもあります。凶悪な事件や振り込めサギは後を絶ちません。いったい、この世のどこに安心して暮らせる社会があるのでしょうか。

つまり、この世は〈無常むじょう〉なのです。諸行しょぎょう(世の中のできごと)は無常なのです。絶対的なものなど、変わらないものなど、何ひとつもないのです。だから、平和で安心して暮らせる社会など、この世にあるはずがございません。

大切なことは、そのことを覚悟して、腹をくくることです。人生はいつ何があるかわからないという気持ちがあってこそ、イザという時に役立つのでございます。

逆にいえばそれは、どんな境遇にあっても、変えることができるという意味でありましょう。万事は〝塞翁さいおうが馬〟なのです。良いと思うことも悪いことに転じ、悪いと思うことも良いことに転じることができるのです。それこそ、人生の智恵というものでございます。

諸行無常は決して〝むなしい〟などという意味ではありません。思いちがいをなさいませんよう、念のためでございます。

山路天酬密教私塾

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