令和2年5月11日
昨日は「無意識の選択」が、悪い結果として現れる例をお話しました。そして、仏教ではこの無意識を「アラヤ識」と呼ぶこともお話しました。
もちろん、無意識の選択はよい結果を生むこともあります。最近は日本でも、若い娘さんが父親母親を問わず、手をつないだり腕を組んで歩いている姿をよく見かけます。大変に好ましいことで、無意識の選択がうまくいっている証明です。
また私が知っているある女性は、嫁ぎ先の義母、つまり姑さんととても仲がよかったので、「いつも腕を組んで歩いたものです」と語っていました。嫁ぎ先の義母は、もちろんアカの他人です。それでも、まれには「お義母さん大好き!」などと言うお嫁さんがいるものです。しかも、こういう場合の姑さんとお嫁さんは、その顔までも似てくるから不思議なのです。「そんなバカな」と皆様は思うでしょうが、世間にはよくある事実です。二人の顔の印象から、たぶん「親子ですか」などと問われることがあったはずです。
では、こうしたよい結果はどこから生まれるのでしょうか。
答えは決まっています。母親の息子に対する教育がよかったということです。つまり、一方的な甘やかしでもなく、一方的な教育ママでもないバランスがあったからです。やさしい愛情を受け、きびしい躾も受け、正直で思いやりがあり、努力も怠らぬ息子として成長したからです。だから、女性に対する見方にも偏見がありません。女性からも好かれます。アラヤ識がいいお嫁さんを選ぶのも当然なのです。
また父親と娘の関係にも、バランスがとれていたからです。父親は母親のようにいつも家にいることは少なく、また娘の教育に口出しすることも少ないと思います。でも、娘が嫌悪するようなことはしません。帰って来て家族と挨拶もせず、娘と会話をすることもなく、ビールを飲んで無言で夕飯を食べ、大いびきで寝込むようなことはしなかったはずです。そして、休日には娘が喜ぶ何かをしてきたはずです。家族を支え、仕事に励み、趣味も楽しんでいた父親の背中を、娘は頼もしく見ていたのです。アラヤ識がいい夫を選ぶのも当然なのです。
こうして考えると、人生を救うものは〝教養〟だと、私はますます確信します。教養はもちろん、学歴でも知識でもありません。〝智恵〟といってもよいでしょう。つまり、教養に根ざした智恵が大切だということです。その教養がやさしさを生み、きびしさを育てるのです。そして謙虚に生きることを学び、信仰の大切さも知るのです。その教養は親から子へ、子から孫へと遺伝するのです。これがアラヤ識です。