立食パーティー

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社会

令和2年4月25日

 

外国映画をみて感じることの一つは、パーティーのマナーが実に身についているということです。特にビッフェスタイルの立食パーティーでは流れに沿って歩きながら、グラスの取り方にも返し方にも無理がありません。料理を口にすることは少なくても、知人との挨拶や初対面者との会話が上手じょうずで、とても豊富です。つまり、こうしたパーティーは食べることが目的ではなく、交流の場であるということをよく心得ているということです。また、こうしたマナーを子供の頃から教えられているのでしょう。

それに比べると、日本人の立食パーティーは、大方が及第点とはいえません。たいていは親しい者どうしで寄り添い、高齢者はイスに座り、交流を広めようともしません。その会話も、普段のおしゃべりと大差があるとも思えません。そして、あり余るほどの料理を、ただガツガツと口にするばかりです。オードブルがあり、中華があり、パスタがあり、寿司があり、デザートがあり、いったい何が目的であったのかも忘れるほどです。食べることにはその方の本性ほんしょうが出ますから、意外な一面が見えることも否めません。

私は以前、こんな経験をしました。宗門の青年会に呼ばれ、講師としてお話をしましたが、夕方には定番の立食パーティーとなったのです。ある若い僧侶と挨拶をして、かなり意気投合しました。名刺交換もして、私の寺に訪ねたいとも言い出しました。私は快く承知したのです。ところが彼は、「ちょっと料理を取って来ます」と言うや、山のように皿に盛って戻って来ました。状況は一変しました。彼は私と会話するより、食べることに夢中になったのです。それも好きなものだけを口にして、余分なものは眼中にもなく残すではありませんか。そして、その眼は運ばれてくる新しい料理に向っていたのです。失礼ではありましたが、私はもう彼と会いたいとは思わなくなっていました。

日本人にはすぐれた才能や繊細な感性がありますが、こうしたマナーは学校でも企業でも教えません。にもかかわらず、外国人との交流は増える一方です。英会話に力を入れるのもけっこうですが、こうした分野にも視点を注いでほしいものです。たかが食事ぐらいで、などとあなどってはなりません。食事をする姿にはその人の生い立ち、親の養育としつけ、教養と品格、極端にいえば、人生のすべてが現れるからです。

ついでに申し上げますが、ひとかどの人物は、パーティーには前もって食事をしてから出席するとのことです。皆様はいかがでしょう。「ひとかどの人物」でしょうか?

山路天酬密教私塾

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