令和2年3月5日
「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ちかえる 阿字のふるさと」というお大師さまの歌があります。すぐれた弟子であった智泉(お大師さまの甥)さまが、三十七歳の若さで世を去った折、その悲しみを癒すために作られたとされています。
阿字というのは真言密教の教主・大日如来のことで、いわば仏のふるさとを象徴します。よく位牌の上に書かれている、あの梵字のことです。つまり、人間は仏の子として仏の国から生まれ、やがてはまた仏の国へ帰る〝本来不生不滅のいのち〟であるいう意味です。死者は仏の国に帰るのですから、位牌に阿字が書かれるのは当然といえましょう。
ところで、阿字のふるさとを立ち出でて誕生した仏の子、つまり人としての赤ちゃんはどのような産声を発するでしょうか。普通、赤ちゃんは「オギャー」と泣くといいますが、私はどうも違うのではないかという疑問を持っています。なぜなら、赤ちゃんは口を開けて泣くのです。口を開けたら「オ」にはなりません。私はたぶん「アギャー」と泣くのだと、若い頃から想像していました。しかし、赤ちゃんはまだはっきりとした発音ができません。だから、何となく「オギャー」と聞こえるのではないでしょうか。
私はこのことを確認すべく、出産経験のある多くの女性に質問して来ました。また、伝授の折には尼僧さんにまで質問しました。しかし、明確な答えは得られませんでした。出産は女性にとって一生の難事であり、産声を正確に聞き取る余裕などないというのがその答えで、私の失態に終ったわけです。
しかし今は、ネットの動画で誰にでもその声を聞くことができます。間違いありません。赤ちゃんは大きく口を開けて、「アギャー」と泣くのです。つまり、「仏の国から今こそ生まれたぞ!」という宣言を、この阿字によって発しているのです。生きるということは声を発することです。声の大きい赤ちゃんは丈夫に育ちますし、元気な人はみな声が大きいはずです。つまり、存在とは振動であり、響きであり、声なのです。したがって、声が出なくなったその時、私たちはまた阿字のふるさとに帰るのです。
今日のブログは皆様にも、そして真言宗僧侶のすべての方々にも読んでいただきたいお話です。そして、お大師さまは本当に偉大なお方だと、改めて憶念していただきたいお話です。