祈願は叶うのです

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祈願

令和2年3月1日

 

毎日、皆様から護摩木ごまぎ護摩ごま)をおあずかりして、お護摩の祈願を続けています。直接お参りして護摩木を書いていく方もおりますが、遠方の方は郵便やFАXでお送りくださいます。

今日は遠方の方の申し込みが多く、お二人の方にお手伝いをいただきました。

ところで、「祈願は本当にかなうのですか」という、素朴な疑問を投げかける方もいらっしゃいます。そんな時、私はたいてい、「必ず叶います。ただし願ったとおりではなかった場合は、それがお大師さまからのご返事です」とお答えしています。そのことについて、お話をいたしましょう。

真言密教は〈即身成仏そくしんじょうぶつ〉の教えです。すなわち、「この身にそくして仏の無限の功徳をいただく」という意味です。この〝即して〟が大切なところで、私たちのこの肉体にこそ仏は宿り、仏の功徳が満ちるということなのです。それは、肉体こそは宇宙の縮図、自然界そのものだということで、これについては以前にもお話をしました。

だから、正しい心で真剣に祈願をすれば、必ず叶います。ただし、願ったとおりではなかった場合、あるいは何の結果もなかったように見える場合もあります。皆様が十分に徳を積んで努力をなし、仏がお喜びになれば、願ったとおりに叶うのです。ところがそれに反する場合、ここにはいくつかの理由があります。一つには間違った願いであった場合、二つには不相応ふそうおうな願いであった場合、三つにはその願いが時期尚早じきしょうそうであった場合、四つには願いが叶うと不幸な結果を呼ぶ場合、五つには結果をいただきながら何も気づかないでいる場合、などでしょう。謙虚に反省するなら、これらのことは思い当たるはずです。また、結果は思わぬ形で訪れることにも注意することです。何の結果もないということは絶対にありません。

祈願が叶うとは、空から一万円札が落ちて来ることではないのです。子供が親から小遣こづかいをもらうことでもないのです。宝くじで一億円を手にすれば、かえって不幸になるかも知れません。名誉が欲しいからといって、本当につとまるでしょうか。徳も能力もあれば、因果にしたがって叶うのです。しかし、その因果を超えて仏の教育があり、励ましがあり、時にはおしかりがあるのです。これが即身成仏であり、お大師さまからのご返事なのです。皆様、功徳は必ず平等にいただいていることを忘れてはなりません。

山路天酬密教私塾

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