カテゴリー
人間
令和元年8月27日
お坊さんの法話に「足るを知る」という、定番のタイトルがあります。そして、その法話の内容は、「欲をかかずに、与えられた生活で満足すること」というものです。つまり〈小欲知足〉や〈清貧の生活〉こそ、身分相応の理想的な生き方であるということを力説しています。
しかし、この考えには私なりの異論がありますので、そのお話をしましょう。
そもそも「足るを知る」とは、老子の言葉です。老子は「足るを知る者は富み、勉めて行う者は志あり」と語っています。「自分には何があるかを知る人は、本当の豊かさに恵まれ、努力を続けることができる人は、それだけでも大きな生きがいである」といった意味でしょうか。そうすると、与えられたもので満足することとは、かなり違ったお話になります。自分には何があるかを知るとは、自分に与えられたものを最大限に生かすという意味ではないでしょうか。自分に与えられたものとは、内面的な長所でも、身辺の人や物でもよいのです。
つまり、自分の足もとにこそ無限のヒントがあり、無限の味方があり、無限の宝があるということなのです。本当に行き詰まった時、何を失ったかより、何が残っているかを考えることです。あと一ヶ月しかないということは、あと一ヶ月はあるということです。心に浮かんだことを、やってみることです。急に思い出した人に、電話をしてみることです。思い出の場所を、また訪ねてみることです。意外な時に、意外な場所で、意外なことがおこるのです。
追いつめられた時こそ、この老子の言葉を思い出してください。乗り越えられない苦難を、背負うはずがないのです。この世に生まれた以上、人は生きるに値する富があるのです。