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書道
令和7年11月11日
お坊さんは読経と書道の修練に励まねばなりません。なぜなら、世間の人たちがそのように思っているからです。お坊さんなら、読経はできて当たり前だと思うでしょう。次に、字が上手だとも思っています。字が下手なお坊さんは信用されません。
昔のお坊さんは檀家さんの目の前で、位牌や墓標を書きました。その立派な字を見て、「さすがだな」と思って尊敬したのです。ところが今日は、宗門の大学でも書道の授業がほとんどありません。小僧教育もありませんから、師僧の字を練習することもありません。位牌も塔婆も堕落の一途をたどっています。
実は今日、お坊さんへの疑問が問われる理由の一つがこれなのです。パソコンで書けばいいという問題ではありません。私はこのことを憂い、真言宗の機関紙『六大新報』に「大師流書道講座」を連載しています。日本の書道史上、最高の宗祖を仰ぎながら、何ともったいないことかと思うからです。
私が大師流書道で揮毫した、セレモニーホールの看板ができました。近所の「志木斎場」正面に設置されています(写真)。

看板屋さんの字でも、書家の字でもなく、まったくお坊さんの字だと、皆さんがおっしゃるようです。このホールに出仕するお坊さんの目に留まることを念じてやみません。

