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真言密教
令和7年10月11日
あさか大師の本尊〈厄除弘法大師〉の両脇には、不動明王と愛染明王がお祀りされています。その理由は、お大師様の右手の法具(五鈷杵)は金剛界の愛染明王(写真上)を、左手の縄(羂索)は胎蔵界の不動明王(写真下)をそれぞれに表しているからです。
いずれも人間の煩悩を降伏せんがため、忿怒の形相をしています。お大師様は悟りを開かれて、柔和でふくよかなお顔ですが、そのご誓願はけわしく、きびしいものでした。そのためには、このようなお姿が必要だったのです。
そのご誓願とはこの世に人間の苦悩があるかぎり、自分の苦悩も尽きることはないという、とてつもなく遠大なものでした。そのためにも、日輪や火焔を背負い、怖い形相をしたお姿が必要だったのです。
何を成し遂げるにも、きびしさがなくてはなりません。「仏様は慈悲深い」などと甘えてはなりません。慈悲とはきびしく、はげしいものです。私たちの人生に、幾多の試練が与えられるのはそのためです。
だから、乗り越えられない試練は与えられません。活路は必ずあります。仏様を信じるとは、自分を信じることであり、自分を信じる人が乗り越えられることを教えているのです。お大師様がおわします。そして、忿怒尊が試練を与えてくださいます。