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自然
令和7年6月29日
10年ほど前、塚谷裕一著の『スキマの植物図鑑』(中公新書)という本が話題になりました(写真)。
同書は街角のコンクリートやアスファルトの割れ目、石垣や電柱の根元といったわずかなスキマから、植物たちがいかにたくましく成長しているかを紹介した異色の刊行でした。しかも、植物たちがいかにも窮屈で息苦しく生きているのではなく、何とも居心地よく幸福に過ごしている様相を発見することに、同書の主張がありました。
人間はあくせくと働き、動物は餌を求めてさ迷っているというのに、こうした植物は一ヶ所に根を下ろしたまま、光と水と肥料を十分に吸い、実に豊穣な時間を過ごしているのです。都会の片隅、国道わきの騒がしい環境にあっても、それは同じです。何と偉大なるドラマでありましょうか。
こうした植物の様相は、通勤中の通り道、買い物や散歩の道端、公園や工事現場、いたるところに見い出せましょう。その飄々たる楽園を讃嘆するならば、私たちは何も見えていなかった自分に驚くのではないでしょうか。自分の足元に、かくも偉大なドラマがあるというのに、いったい何を見て生きていたのでありましょうか。
あさか大師の境内でも、ドラマは常に見い出せます(写真はエノコログサ)。ああ、植物は偉大なり。偉大なるドラマに幸あれ。