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祈願
令和7年1月31日
中国や台湾の道教寺院に行くと、お参りの人たちがお金を供えているところを見ます。たとえば冥都銀行(あの世の銀行)が発行する100億円札(!)などがそれです(写真上)。
これは何を意味するのかといいますと、要するにこの世で犯した罪を、罰金を支払って帳消しにしてもらおうということなのです。つまり、この世の罪をお金でつぐない、苦しみを除いて寿命を延ばしてくださいという、神様との〝取り引き〟です。いかにも中国的な発想ですが、しかし、これは仏教では認めません。仏教ではあくまで、自分の罪は自分でつぐなわねばなりません
実は、開運星祭り大護摩供でも紙銭(白紙や銀紙で作った硬貨を連ねたもの)を供えます(写真下)。一年12ケ月と旧暦の閏月(同じ月が2ケ月続く)を加えて13連で作られています。
ただし紙銭であるゆえに、私たちが執着を持たないという解釈をするところに、仏教的な意味があります。つまり、執着を持たないから、無欲でお供えするから神様が喜んでくださるということなのです。執着を持たねば、それだけ悟りに近づき、罪をつぐなうことができます。
あさか大師では本日、星祭りの壇を荘厳します。次回、紙銭やナツメを供えた荘厳を写真でお伝えしましょう。