2024/09の記事

仁和寺での講義

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真言密教

令和6年9月29日

 

昨日、京都の総本山仁和寺御室会館にて、真言宗僧侶の方々の前で講義をしました。長いコロナ禍が続く中、奈良や京都での出仕が中止となりましたが、久しぶりに熱弁をふるいました(写真)。

密教の僧侶は仏様や諸天様を拝む場合、その次第書が必要になります。次第書には厳格な規則がありますが、自分用のものを作る必要があります。そこで「私次第ししだい編成の仕方」と題してお話をしたわけです。

地元の僧侶はもちろんでありますが、遠方からお集りの方々もたくさんおられ、熱心に聴講していただきました。これが縁で、ご自坊でのお勤めに、さらなる拍車がかかることを願ってやみません。ご参集の皆様、ありがとうございました。

コスモスの花療法

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健康

令和6年9月26日

 

意外に思うでしょうが、コスモスはメキシコの花です。しかし「秋桜」と表記されるほど、日本の秋を代表する花となりました(写真)。

コスモスは可憐な花に見えますが、実に強靭きょうじんです。石ころだらけの荒れ地や、アスファルトの割れ目からもたくましく育ちます。それだけに、疲労回復の花療法となることを覚えておきましょう。

夏の疲れが出て、体がだるくなったり、食欲がなくなったりする症状を、中医学では〈腎虚じんきょ〉と診断します。つまり、腎気じんき(生命力)の衰えです。生薬の調合もありますが、こんな時はぜひコスモスの花に接してください。

野山や道端で見るもよし、鉢植えを部屋に置くのもよし、この花のたくましい美しさが、腎気を補ってくれるでしょう。花を単に楽しむだけではなく、花を想い、その情感とパワーによる花療法が普及することを願っています。

父母両家のルーツ

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先祖供養

令和6年9月22日

 

本日午後1時より、秋彼岸会法要を勤修しました。大勢の皆様が参集し、ご先祖の精霊に礼拝し、僧侶と共に読経しました(写真)。

ご参集の皆様は、先祖供養を単なるご回向ではなく、父母両家のルーツにアプローチして、人生を変えることを目ざしています。なぜなら、この世はあの世と共にあり、あの世の幸せがこの世の幸せとなるからです。

一本の樹木にたとえるなら、この世は眼に見える世界です。幹であり、枝葉であり、花であり、実でありましょう。しかし、樹木には根があります。眼には見えない、あの世の世界がここにあります。根はまず父母となって別れ、さらに祖父母となって別れます。これがご自分のルーツです。(ホームページ「先祖供養」参照)。

樹木は根の養いこそ大切です。根に力がなく、栄養が届かなければ樹木は育ちません。あさか大師の先祖供養は、根の養いです。「人生を変える先祖供養」です。ご関心をお持ちの方は、ホームページ「お問い合わせ」からご連絡ください。詳しく説明をいたします。

秋彼岸会の前行

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先祖供養

令和6年9月20日

 

あさか大師では9月22日(日)午後1時より、「秋彼岸会法要」が挙行されます。私はすでに、半月前から前行に入り、たくさんのお塔婆や毎月の供養紙に向って光明真言法こうみょうしんごんぼうを修しています(写真)。

普段からお話をしていますが、先祖供養で大切なことは、専門のお導師に依頼して祈りを融合させることです。熱心な皆様は、常にお仏壇やお墓にお参りなさるでしょう。読経のできる方もいらっしゃるはずです。

もちろんそれは、りっぱな功徳であることは間違いありません。ただ、最高の供養を成就することとは別のお話なのです。真言密教のお導師は直接に仏様を勧請し、ご先祖を依頼する秘法を修します。ここに大きな違いがあるのです。

秋彼岸会でもまた、この秘法を修します。関心のある方は、ぜひお参りください。ご真言が響く中、独特の霊気が漂います。仏様とお導師とご信徒が一体になる瞬間を体験することができます。

最後に生き残る人

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人間

令和6年9月18日

 

昨夜は床に入りながら、村上和雄著の『人生の暗号』(サンマーク文庫・写真)を再読しました。

その最終章に「最後に生き残る人~」という見出しがあり、私は「なるほど」と思いながら眠りについてしまいました。同著によると、最新のコンピュータに「どんな人間が最後に生き残るか」を推測させたというのです。

普通に考えれば、「力の強い人、自分のことを優先させて考える人、競争に勝ち抜いていく人」といった答えが予測されましょう。ところが出て来た答えは、何と「譲る心を持った人」でした。

つまり、人の心は「他人のため」に献身的な努力をしているときに理想的な状態ではたらき、よい遺伝子がONになるというのです。著者は遺伝子学の権威として活躍しましたが、残念ながら2021年に他界しました。

しかし、「他人のために何かをすることほど、自分のために役立つことはありません」といった宗教的な提言は、多くの人々の共感を呼びました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

残暑の金運宝珠護摩

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金運

令和6年9月15日

 

あさか大師では本日11時半より、金運宝珠護摩が奉修されました。残暑きびしい毎日でありますが、大勢の皆様が金運増大を願ってお参りくださいました(写真)。

お護摩に先立っては、人間の本質としてのお金の大切さをお話しました。つまり、お金に対する考え方が、その人の人生観や価値観そのものであるということです。お金を汚いものと思ったり、お金持ちはみな悪い人だと思ったりしてはいけません。また、そういう人は、お金の神様にも嫌われます。

お金は世の中に対して、何をどれだけ与えたかの目安です。人が喜び、人が幸せとなる何かを与えねば、与えられることはありません。つまり、お金は入りません。与えずして得たお金や不正に得たお金は、必ず失います。また、その分のつぐない(!)も課せられます。

この金運宝珠護摩は、社会に何かを与えられるよう、そのためのパワーを送るものです。今月もまた、よいお知らせが届きますことを願っています。

金運宝珠護摩のご案内

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金運

令和6年9月13日

 

9月15日(日)の午前11時半、人気の金運宝珠護摩が奉修されます。

お金に対する偏見を捨て、お金の神様に好かれるようパワーを送るお護摩です。お参りの皆様には全員、〈金運銭〉を差し上げます。お財布に入れて、当日のパワーを維持してください(写真)。

このお護摩は浄炎の中に如意宝珠の観じ、その功徳が遍満するよう祈ります。お参りをなさったら、その功徳をいただいてください。そして、ありがたいご加護、不思議なご加護がありましたら、ぜひお知らせください。そのお知らせがまた、新たなパワーを生み出します。皆様のお参りをお待ちしております。

続・蛇体の不思議な霊力

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令和6年9月10日

 

私の郷里の農村にはヘビがたくさんいましたので、いじめたり殺したりする人もいました。それについて、小学生の時の忘れがたい記憶がありますので、お話をいたしましょう。

それはちょうど今頃の季節の下校時でした。ある樹木の枝に大きな二匹のヘビがいて、それに向って3人の男の子が石を投げつけていました。私は「そんなことはしないほうがいいよ!」といいましたが、聞き入れません。一匹は地に落ち、もう一匹はかろうじて枝に留まっていましたが、二匹とも必死の苦しみにもだええていました。私は立ち去りましたが、後で聞くと二匹とも殺してしまったとのことでした。

するとその日の夜、その男の子の2人が急な高熱を出したのです。村医者を呼んで治療しましたが、3日ほどは苦しんだととのことでした。偶然とするのは簡単ですが、私は子供なりにあの残虐ざんぎゃくな行為を思い浮かべました。

ヘビをよく「弁才天さん」と呼ぶのは、弁財天と同体の宇賀神うがじんとされるからです。つまり神さまとして信仰されるからです(写真・西大寺蔵)。

蛇体には不思議な霊力があると、私は確信しています。強力なパワーを発揮する霊符もまた蛇体の姿です。もし、ヘビに対して思い当たる行為のある方は、今からでも弁財天に懺悔さんげし、おそなえをしておわびをしてください。決して軽んじてはいけません。

蛇体の不思議な霊力

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令和6年9月7日

 

鎮宅霊符尊ちんたくれいふそんの尊前には玄武神げんぶしん(亀蛇のご神体)が安置されています(写真)。したがって、霊符行者はスッポン料理はもちろんのこと、蛇体のウナギ・アナゴ・ハモ・ドジョウといった料理を口にすることはできません。

私も伝授を受けて霊符のご祈願をするようになって以来、こうした料理を口にしたことはありません。これらは口伝によって、かたく禁じられているからです。その理由は、蛇体には何か不思議な霊力が宿っているからなのでしょう。仏教の明王や諸天に、蛇体を体に巻きつけたお姿があるのはそのためなのです。

いささかはばかるお話ではありますが、私は農村に生まれましたので、幼い頃はよく庭のあちこちにオシッコ(いわゆる立ちション)をしたものでした。すると農家の庭ですから、どこにでもミミズがいて、自分のオシッコがかかってしまうことがよくありました。

するとどうでしょう。男の子のアソコの先が痛くはれるのでした。信じられないという人もいらっしゃるでしょうが、これは農村の人なら誰でも知っていることです。本当にホントウのお話です。

私は僧侶になってからもこのことが忘れられず、医師・薬剤師・生物学者など多くの方になぜなのかを質問しましたが、はっきりした答えはついに出ませんでした。要するに、科学的な現象を超えた何かがはたらいていたとしか、いいようがないのです。

ミミズは漢方では「地龍じりゅう」といい、解熱剤として効能があります。どうしても高熱が下がらない場合は、ぜひ中医師に相談してみてください。また皆様がミミズに出会っても、決して残虐ざんぎゃくな扱いをなさいませぬよう。老婆心ながら、お伝えしたします。

八種類の供物

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真言密教

令和6年9月4日

 

仏さま(如来・菩薩・明王)へのお供えには密教修法での荘厳しょうごん(壇上のおかざり)を除いて、特別な決まりはありません。たとえば「お不動さまはいかにもお酒が好きそうだ」といってお供えをしますが、決してお不動さまがお酒を望んでいるわけではないのです。

仏さまは悟りの境地に達していますので、「あれがほしい、これがほしい」と執着をいだくことはありません。もちろん、たたりをなすこともありません。よく「観音さまが怒ってるよ」などという方がいますが、それは観音さまを名のった方が都合がよいからなのです。大慈大悲の観音さまが祟ることは絶対にありません。このことは心得ておきましょう。

しかし、神さま(天・権現・明神など)はそうはいきません。特に聖天さまや荒神さま、星祭りの神さまなどには、厳密な決まりがあります。また、それに違反したり、御礼参りを怠ると祟りをなすこともあります。神さまにはまだ、執着があるからです。ただ、神通力で仏教を守護し、仏さまによくおつかえくださるので、そこがありがたいのです。

あさか大師には神さまとして鎮宅霊符尊ちんたくれいふそんと八大龍王さまがお祀りされていますので、いつも八種類のお供えをしています。すなわち、お酒・水・お茶・洗米(五穀)・塩・もち・菓子・木の実です(写真)。

「触らぬ神に祟りなし」といいますが、よくいい得ています。簡単な気持ちで神さまに願がけをしたり、失礼をしてはなりません。それができないなら、はじめから触らぬ(!)ことです。

山路天酬密教私塾

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