飛鳥美人の犠牲者

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令和7年4月29日

 

「移転してから体調が悪いのです」といったご相談を受ける時があります。たいてい、建売住宅なら地鎮祭をせず、中古住宅ならおはらいをしていないのです。

また古戦場の跡だったり、塚跡だったりすることもあります。土地にも建物にも、歴史の中で人の想いが残ります。そのことは知っておかねばなりません。

高松塚古墳より出土した飛鳥美人(写真)や北斗・四神画は世紀の大発見でしたが、その影で犠牲者が続出したことはあまり知られていません。国をあげての大事業ながら、はたしてどの程度の供養やお祓いをしたのでしょう。

まず、明日香村観光課長М氏は、発掘が始まるや毎晩のようにうなされたといいます。そして、間もなく胸の痛みを訴えて倒れ、そのまま亡くなりました。それまで、何の徴候もなかった方です。

続いて、古墳沿いの畑をクワで耕していた村内女性K氏は、誤って石窟を傷つけてしまいました。すると彼女は体調をこわして寝込んでしまった末、二日後に息を引き取りました。

翌年、発掘調査の資金調達に奔走していた自治会長が車にはねられて死亡、また古墳の第一発見者が農薬自殺、さらに壁画の模写をしていた日本画家もまた車にはねられて死亡するなど、まるで呪われたような事件です。偶然にしては、その偶然が重なり過ぎます。

このような権力者の霊は、よほどの供養をせねば鎮まりません。百人の僧侶が必死で祈り、お護摩を焚くほどのことは必要です。今日は怖いお話になってしまいました。文化の影には、こうした犠牲があるものです。

山路天酬密教私塾

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