令和2年5月14日
『徒然草』(第一四四段)に、栂尾(京都)の明恵上人の逸話が紹介されています。
上人が道を歩いていたら、ある男が川で馬を洗っていました。そして、その馬の足を洗うため、男は「足!足!」と声を出しました。それを聞いた上人は、「ああ、ありがたや。前世の功徳が実を結んで、『阿字(足)阿字(足)』と唱えておる。どういうお方の馬であるか。あまりにも尊いことじゃ」とたずねました。
男は「これは府生殿の馬です」と答えました。すると上人は「何と何と、これはめでたいことじゃ。阿字は本不生という意味で、まさに『府生(不生)』ではないか。うれしいご縁をいただいたものじゃ」と涙をぬぐったそうです。
ちょっと解説をしましょう。〈阿字〉というのは真言密教の梵字で、大日如来という最高の仏さまを示します。真言宗のお位牌やお塔婆には必ず書かれている梵字で、この梵字がなければ真言宗そのものが成り立ちません。それくらい大事な梵字なのです。そして、その〈阿字〉には〈本不生〉という深義があるのです。本不生とは「本来不生不滅」を略した言葉で、私たちはもともと、生ずることも滅することもない永遠の生命であるということを教えているのです。阿字と本不生と、明恵上人はこの二つの言葉に同時に出会えたご縁に感激したのでした。なかなか〝おもしろい〟お話です。
皆様はどう思うでしょうか。「何だ、ただのこじつけじゃないか」と、そう思うでしょうか。もちろん、〈足〉と〈阿字〉はまったく別のものです。また、〈本不生〉という深義と〈府生〉という人物の間に、何のかかわりもありません。
でも、どうでしょうか。私たちもお護摩の炎を写真に撮ったらお不動さまの姿が出ていたとか、ロウソクが蛇腹に垂れて龍神さまが現れたとか言うことがあります。また、壁のシミが観音さまの姿に見えるということから、お賽銭を上げたりするものです。これも自然な心理であって、単なる〝こじつけ〟では済まされません。
明恵上人の逸話も、何か特別な意図があったのでしょう。弟子が同行していたのなら、修行の心得を教えたとも受け取れます。山の形や川の流れに、風の音や人の声に、もっと五感をはたらかせなさいという意味ではなかったかと思うのです。自然界はすべて仏さまの文字であり、仏さまの説法であるというのが、お大師さまの教えなのですから。