令和2年3月7日
このたびの新型コロナウイルスによる肺炎感染の疫病は、地球をあげての危機となりました。実はお大師さま四十五歳の折、大変な疫病が流行しました。そのことは著作『般若心経秘鍵』十一段の上表文に記載しておられます。大略をやさしい現代文にしてみましょう。
「弘仁九年(818)の春、天下に大変な疫病が流行った。そこで嵯峨天皇は自ら金泥を筆先に染め、紺色の紙を押さえて『般若心経』一巻を書写された。私はおそばにあって『般若心経』の功徳を講義していたが、絶命したと思われた人が蘇生し、夜なのにまるで日中のようなまばゆい光までも出現した。(中略)昔、私はまさにお釈迦さまの霊鷲山での説法の席にいて、この経の深い意味を聞いたのであるが、今こそこれを解き明かしたのである」
嵯峨天皇のこの写経は「勅封般若心経」と呼ばれ、現在も京都嵯峨・大覚寺〈心経殿〉に奉安され、60年に一度だけ寺院関係者に開封されています。弘仁九年は戊戌(つちのえいぬ)の干支でしたので、その干支が60年に一度巡って来るからです。最近では平成三十年が戊戌に当たり、しかも弘仁九年からちょうど1200年目ということで、大覚寺では記念法要が奉修され、しかも一般公開までされました。
この上表文を鎌倉時代の日蓮聖人などは、根も葉もない「大妄語」としていますが、嵯峨天皇の「勅封般若心経」が大覚寺にあることは紛れもない事実です。そして弘仁九年の疫病にかぎらず、『般若心経』が数々の病魔を降伏させてきたことも事実です。お釈迦さまより直接この経を聞いたとする結びの表現も、決して絵空ごととは思いません。お大師さまご一代の行状を見れば、このような超越的なお話は十分に考えられるからです。またお大師さまが、『般若心経』を特に重んじられた深義もここにあるからです。
いま地球をあげての感染危機に直面し、一人でも多くの方々が『般若心経』の読誦、あるいは写経に励まれますことを念じてやみません。私も毎日のお護摩では必ず『般若心経』を大太鼓の轟音と共に読誦し、疫病の終息を祈念しております。