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書道
令和元年12月25日
さらに、書道のお話を続けます。
問題なのは「書道教室」の先生や、「書道科」の大学生ばかりではありません。看板屋さんですら、楷書や行書を得意とする方が少ないのです。今はほとんどが活字かパソコンでの貼りつけです。昔の看板屋さんは、ほぼ巾線ばかりを引けば、みごとな楷書や行書を仕上げました。街の商店名、道路脇の看板、トラックの広告、気に入ったものを、私はよく写真に撮ったものです。
皆様が観光地へ行きますと、一刀彫の表札屋さんが目につくことでしょう。立派な書体で見本が飾ってありますので、気に入れば注文するかも知れません。ところが送られて来る表札は、見本とは大違いのはずです。なぜなら、その見本は先代や先々代のもので、今の当主はそれほどには書けません。
「昭和」という時代までは、どの分野にも書道の名手がおりました。僧侶も学者も、政治家も文士もそうでした。宗派の管長ともなれば、全国の信徒が一目をおく揮毫をしたものです。また著作を出版するともなれば、自分でタイトルを揮毫しました。岸信介元総理は毎日、写経を日課にしていました。昔の西郷隆盛・勝海舟・犬養木堂らと同様、みごとな揮毫をしました。弟の佐藤栄作も、兄を見習いました。それが続いたのは田中角栄までです。失礼ではありますが、「平成」に至ってだんだんに〝落ちて〟来たように思います。
私がお護摩札の浄書をお願いした中で、とても感心したのは筆耕の方です。長らく賞状や招待状を書いてきましたので、さすがに上手でした。今でもホテルや結婚式場の筆耕には、招待状の名手がいるはずです。
これ以上は申しません。少なくとも、僧侶ばかりは書道の修練をしてほしいと願っています。