お大師様への敬慕

カテゴリー
書道

令和7年7月15日

 

私は十六歳の折、高校の書道教科書でお大師様の筆跡に接し、身がふるえるほどに感動しました。そして、真言密教の僧侶になろうと決心しました。したがって、お大師様の書に対しては、何よりも関心をもって過ごして来ました。

二十代で僧侶になってからも、学ぶことはたくさんありましたが、常に書道のことが念頭にあったことは、確かだったと思います。そこで、一昨年6月より真言宗の伝灯機関紙『六大新報』に、「大師流書道講座」をライフワークとして連載を開始しました(写真)。

現代の真言宗僧侶は大学で専門コースを学んでも、書道に専念することはありません。梵字の授業はあっても、宗祖の書を習うことがないのです。昔の旧制・高野山中学(現・高野山高校)ではお大師様の書を渡され、徹底的に習いました。だから、皆さん書がお上手じょうずでした。

そもそも、お坊さんとはお経を上手に唱え、書が上手である人だったのです。「うちの和尚さんは字がうまい」が檀家さんの自慢でした。その筆跡を見て、檀家さんは尊敬したのです。葬儀の位牌も法要の塔婆も、それぞれに上手でした。

ところが、今は葬儀の位牌も法要の塔婆も、ほとんどがパソコンです。私も依頼されれば葬儀もしますが、火葬場で見る位牌は、みなパソコンでした。これでは檀家制度が持続するはずがありません。お寺の存続に関わる問題です。

私は宗門の僧侶の方々に、自分のこの熱い想いを伝えたいのです。お大師様は日本書道史の最高峰です。東晋とうしんの書聖・王羲之おうぎしに並ぶほどの書家は、ほかにはいません。この至高の宗祖を持ちながら、いったい何をしているのでしょうか。僧侶が学ぶべきは、まずはお経と書なのです。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ