令和2年5月12日
「讃祷歌」という仏教音楽があります。東京代々木の智韻寺初代住職・新堀智朝尼(故人)が、その創始者です。
仏教音楽というと声明やご詠歌・和讃は知られていますが、讃祷歌は童謡ありクラシックありで、この分野ではきわめて特異な存在です。キリスト教の教会では聖歌隊はもちろん、信徒も共に讃美歌を歌って祈りのボルテージを上げますが、仏教寺院はもっぱら読経が中心です。仏さまやお大師さまを讃える歌が、もっと採用されるべきだと私は思います。
智朝尼は「讃祷歌詠唱団」を組織し、全国の寺院やステージに立ちました。また海外公演も数知れず、特にカーネギーホールや国連ホール、バチカン特別謁見でも詠唱しました。私も東京芸術劇場大ホールでの公演では、修験道(山伏)の衣帯で法螺師を務めた経験があります。圧巻のオーケストラ演奏の中、自分がお護摩を修しているイメージで法螺貝を吹奏しました。目の前に作曲家の黛敏郎さんが座っていたので、かなり緊張したことを覚えています。
私は智朝尼とは若い頃、京都東山の総本山智積院で出会ってより、大変に親しいおつき合いをしました。彼女とは親子ほど歳は離れていましたが、互いに意気投合して時を忘れるほどでした。思い出すこともたくさんあります。当時はまだ携帯電話もありませんでしたが、いっしょに街を歩いていると、「ちょっと待って」と言って公衆電話に飛び込むのです。何だろうか思ってと見ていると、何やら受話器を持って口ずさんでいます。あとで聞いてみると、突然に浮かんだ詩曲を自宅の留守電に入れていたというのです。もちろん、忘れないためです。
音楽の神さまは、思いがけない時に啓示を垂れるのでしょう。彼女はその「天空の仏教音楽」を、自分の身でキャッチしたのです。その時は〈わらべ歌〉でした。
「いとけなき子らに よみじを照らしつつ みてには乳び たれさせたもう 南無観世音 今日は父 明日は母よと叫ぶ子に 慈悲の雨ふる 晴れをまたなん」
私の車に同乗していても、急に「止めてください」と言うのです。キャッチした詩曲がエンジンの音で聞き取れなかったのでしょう。彼女の日常はすべて音楽と共にありました。旋律が降臨し、歌詞が浮上するや、天空のその詩曲を地上へと届けていたのです。聡明で一途な人柄を、私は忘れることはありません。あの世でまた出会うのが楽しみです。