令和2年3月8日
今日は月初めの総回向があり、また加行(入門の修行)の伝授や得度式(仏門に入る儀式)の打合せなど、忙しい一日でした。夕方五時半頃にたまたまテレビをかけましたら、大相撲春場所の初日中継を放送していました。まさに前代未聞の無観客場所です。新型コロナウイルスによるやむを得ぬ処置とはいえ、異様な館内であったことは否めません。
ところで、私は時おり思うのですが、相撲こそは日本の国技です。ところがその相撲について、国民はファンとする関取や力士のこと以外、ほとんど何も知りません。いや、その関取と力士の違いすら知りません。ただ、何となく放送されているからそれを見ていると、そんなものではないでしょうか。
たとえば「立行司の木村庄之助・式守伊之助」といいますが、その立行司という意味について、アナウンサーも解説者も何も説明しません。ほかの行司とどのように地位や装束が違うのか、もっと国民に知らせるべきなのです。
行司といえば、よく「よ~い、はっけよい」と鼓舞しますが、あの「はっけよい」とは発揮揚々のことで、「もっと気を発せよ」「発揮用意」のことであることを、国民は知っているでしょうか。また結びの一番では、たいていは観客の声援で行司の声が聞き取れません。ところが、この触れがなかなかの口上です。
「番数も取り進みましたるところ、かたや白鵬、白鵬。こなた鶴竜、鶴竜。この相撲一番にて本日の打ち止め~(千秋楽にござります~)」
日本語としてもすばらしい音調ですが、これを知っている人はおそらく国民の1パーセントもいません。
そのほか、相撲界の裏方である呼出・床山(髪結い)・ちゃんこ番、番付の書体である根岸流、太鼓(寄せ太鼓・跳ね太鼓)、相撲甚句のことなど、放送中に少しでも解説や字幕で知らせれば、国民はもっともっと相撲に興味がわくはずです。また若い女性や外国人にも、さらに人気が高まるのではないでしょうか。
文化はわかりやすく、親しめることで残るのです。また伝統という概念も、その時代に融合した新鮮さがなければなりません。私が職業とする仏教やお寺も同じことです。古きものこそ新しき革袋が必要となるのです。