令和2年4月8日
緊急事態宣言が発せられるや、私はほとんど人との接触がなくなりました。もちろん電話はかかって来ますし、手紙やメールなどはいつもどおり処理しています。しかし、これほど考える時間に恵まれることなど、めったにあるものではありません。これは思ってもみないチャンスだと考えています。
私と同じように、自宅にこもって仕事をなさっている方も多いことでしょう。パソコンに向かいながら、会社のこと、同僚のこと、取引先のことなど、時おり脳裏をよぎるに違いありません。でも、今こそはかけがいのない〝自分の時間〟があるのです。ぜひ、必要な情報以外はなるべく遮断し、考える時間を作ってほしいと思うのです。
私がどうしても馴染めないことの中に、視てもいないのにテレビをつける習慣があります。何の音もしない家が、そんなにさびしいのでしょうか。まれに法事やお祓いなどで、人の家をお訪ねすることがありますが、たいていはテレビが放映されています。かといって、その放映を熱心に視ているわけでもないのです。私は即座に消していただくようお願いしますが、この習慣がわかりません。私がテレビを敬遠する理由は、こんな経験からなのでしょう。
戦後の日本において、テレビの普及こそは最大の功罪です。番組の楽しみがあり、情報の収集も便利になりましたが、家庭の中から会話を奪いました。そして、考える時間を奪いました。食事をしていても、家族の眼と耳はテレビに向かっています。母親が作った料理の手間など、話題にも出しません。ただ箸を運びながら、その眼もその耳もテレビに夢中です。
テレビのない時代、人は考える時間を持ちました。そして、何の音もしないところで、独りになって考えました。この緊急事態の時こそ、そのチャンスなのです。人との接触も少なく、また人への気遣いも少ないなら、考える時間を作ってほしいと私は思います。この上なく有意義な時間となることに間違いはありません。