令和元年11月22日
たしか、福沢諭吉(?)でしたか、こんなことを言っていた記憶があります。
「文章を書くなら、たとえば昨日、田舎からやって来たお手伝いさんにでも、スグに理解するように書きなさい」と。
どこで読んだお話だったかは忘れましたが、いま、何となく思い出しました。しかし、「田舎からやって来たお手伝いさんにでも」とは、おだやかではありません。大変にむずかしいことです。
また、これもどかこかで聞いたことですが、「文章は大道芸人に混じって伝えるほど、わかりやすく書くべきだ」というのです。私もこのブログを書いていて、平易さを心がけてはいますが、ここまで言い切る自信はありません。
そもそも、難しいことを〝むずかしく〟伝えることは簡単かも知れません(いや、それも難しいのですが)。しかし、難しいことを、やさしく伝えることは容易ではありません。特に、仏教の教えをわかりやすく伝えることは、よほどの力量がいるはずです。
私がお世話になった岩坪真弘先生(淡路島・八浄寺元住職)は、「山路さん、あなた自分が作った布教の言葉を栞にしたとして、たとえば喫茶店のとなりにいる若い女子高生にも渡せますか」とおっしゃいました。つまり、見ず知らずの若い女子高生に対しても、理解してもらえるほど、やさしい言葉で布教しているかということなのです。
私はかなりショックを受けましたが、忘れ得ぬ経験でした。岩坪先生は伝道布教において偉業をなし、また淡路島の発展にも大きな足跡を残されました。今は亡き岩坪先生に出会ったことを、心から感謝しています。
深遠なお話をわかりやすく伝える力量は、社会のリーダーには特に問われることです。政治家にも、経営者にも、学者にも、そして僧侶にも問われることです。平凡なお話の中にこそ、真理が潜んでいるということです。