令和2年6月11日
ある師僧が、弟子の僧侶を連れて道を歩いていました。すると見るからに猛々しい黒犬が、その師僧のそばに近づいて来ました。ところがその黒犬は、見た目とは大違いで、なれなれしく、うれしそうにすり寄って行きました。尾を振り、首を垂れ、従順で、いかにも「いい人に出会った」という感じでした。
ところが、連れの弟子は何を勘違いしたのか、師僧にかみつきでもしたら大変とでも思ったのでしょう。急いでその黒犬に近づき、「シッ、シッー!」と追い払おうとしました。すると黒犬は弟子に向って振り向き、耳をさか立て、眼光するどく、威嚇して吠えまくりました。
突然の猛攻に、弟子の方もあわてました。すぐさま道端の石を拾って、「このヤロー!」とばかり、投げつけるふりをしたのです。犬も犬なら、弟子も弟子です。その黒犬は身の危険を察したのか、やがて退散してしまいました。さて、以下、こんな会話となりました。
「師僧、あの黒犬に何か食べ物でもやったのですか」
「どうしてかね」
「大そうなれなれしくて、いかにもうれしそうにすり寄っていましたけど」
「いや、わしは何もやらんよ」
「師僧にはなれなれしくて、うれしそうにすり寄ったのに、私にはどうしてあんなに吠えまくったのですか」
「わからんか。あれは、おまえが吠えた声なのじゃよ。わしには殺生や残忍な臭気がないから寄って来るのじゃ。おまえにはその臭気があるから、怖がって吠えたのじゃよ」
「でも、私は石を投げつけるマネをしただけで、あの犬を殺そうとか痛い目に合わせようとしたわけではないのですが」
「今のお前がその気であっても、過去の生き方が殺生や残忍な臭気を放っているから、犬の嗅覚がそれを感知したのじゃよ。犬がおまえを吠えたのは、お前の心の写しなのじゃ。殺生や残忍な心をおまえ自身が怖がって吠えたのじゃ。わかるかな」
その弟子は、師僧の言葉に深く耳を傾けました。私たちが立ち向かう相手とは、私たち自身の姿でもあります。相手の姿は、鏡に写った私たち自身の姿なのです。