令和2年6月13日
先月、八千枚護摩のお話をしましたが、実はもう一つ、声帯をこわした経験も忘れることはできません。不動明王の真言を大きな声で十万遍も唱える荒行をしたのですから、当然といえば当然です。しかも、私はその荒行を50回もくり返したのです。丈夫だった声帯も限界を超えたのでしょう。しだいに声枯れがひどくなり、二重音が同時に出るようになりました。音程も思うように取れませんでした。
はじめは気管支炎か喘息でも患ったのかと思い、病院の内科や呼吸器科で調べましたが何の異常のないというのです。喉によいという医薬品や民間薬もかなり試みました。しかし、いっこうに効果はありません。そんな中で父の葬儀を勤めましたが、ひどい声で読経したことを、今でも恥ずかしく思っています。
その後、友人にすすめられて高名な耳鼻咽喉科の先生に調べていただいた結果、大きな声帯ポリープが二ヶ所に発生していることが判明しました。そしてご紹介をいただき、手術を受けて事なきを得ました。しかし、今でも長時間の読経や講演をすると、声枯れがするのは逃れられません。冷たい飲み物もなるべく避けるようにしています。歌手や声楽家、詩吟や謡曲の方々は冷たい飲み物を避けるのはもちろんですが、蒸しタオルを喉に巻いて就寝するとも聞いています。
その一方、私はそれまで以上に人間の声という機能に興味をいだき、肉声や電話の声、テレビやラジオの声を通じて、いろいろなイメージが広がるようになりました。つまり人相や手相と同様、声にも「声相」があるということなのです。声が大きい人は元気な証明だと、私はよくお話します。しかしまた、その声の中に心の本質が現れていることも事実です。初めての電話で顔は見えずとも、声によってその方の内面をのぞき込むような習慣さえついてしまいました。
別の角度から説明しましょう。たとえば外国映画をみる場合、俳優さんや女優さん本人の声の方がよりリアルであることは申すまでもありません。字幕を追うのが面倒だという方もおりますが、その声にこそ俳優さんや女優さんの魅力があるのです。ところが、吹き替え版ではどうでしょう。本人の声に慣れている場合、まったくイメージがこわれることがよくあります。声の本質とはこれなのです。声優さんを選ぶのも大変でしょうが、明らかな〝失敗〟はよくあることです。
ただ、私の好みでしょうが、『名探偵ポアロ』の熊倉一雄さんや『刑事コロンボ』の小池朝雄さんなどは例外です。彼らには主演の本人と同等の魅力、つまり本質があるからです。皆様もぜひ「声相」に興味をいだいてください。声は真実を現わします。仏さまの真実も、自然界の声に現われるのです。これもまた、お大師さまの教えなのです。