令和2年4月29日
真言密教では「阿闍梨の十三徳」と呼ばれる徳目があります。阿闍梨とは、法を伝授する資格のある高僧をいいますが、私はその徳目がとても気になっています。まずはその十三徳を、やさしい言葉で列記してみましょう。
①菩提心がある。(菩提心とは悟りを求める心です。基本的な徳目として当然のことです) ②智慧と慈悲がある。(慈悲の心が必要なのは当然ですが、慈悲には智慧の裏づけなくてはなりません) ③衆芸に通じている。(教えを弘めるには、いろいろな手立てが必要です。そのための技術がなくてはなりません) ④瞑想によ真理を体得している。(本当の真理は頭脳思考からではなく、瞑想の体験から生まれるからです) ⑤密教以外の諸教にも精通している。(自宗の教義ばかりでなく、他宗にも明るくなくてはなりません) ⑥真言の奥義を理解している。(真言の深い意味に通じているということです) ⑦信徒の気持に寄り添うことができる。(高い所から接するのではなく、同じ視点に立つ必要があります) ⑧仏さまの救いを心から信じている。(教義だけではなく、体験的な信念が必要です) ⑨曼荼羅を描いて灌頂を修すことができる。(画才がなくてはならないということです。灌頂とは聖水をそそいで、仏さまとの縁を結ぶことです) ⑩面相が柔和である。(仏さまのように、やさしい容貌でなくてはならないということです) ⑪決断力がある。(小さなことに迷わず、腹がすわっているいるということです) ⑫仏さまと一体であるという信念がある。(信仰から湧き出た、深い決意のことです) ⑬仏道のために身命を惜しまない。(教えのためには、勇猛に進むことができるということです)
私が特に気になっているのは、③の「衆芸に通じ」、⑨の「曼荼羅を描いて」、⑩の「面相が柔和」いった徳目です。
いったい衆芸とは何でしょう。もちろん、ゴルフやマージャンに強いという意味ではありません(笑)。真言密教には神秘的な儀礼がたくさんあります。その作法や意味を習得せねばなりませんし、絵画や音楽も学ばねばなりません。また、諸事に技術的な器用さが求められます。これが衆芸でしょう。曼荼羅を描くには画才も必要です。日常の言葉ではなく、異次元世界の形や色、音や旋律の中に入るのですから、阿闍梨になるのは大変です。
⑩の面相についても、特記したいと思います。僧侶の法器はその顔に現れるからです。仏さまにしっかりと使えていれば、仏さまのような顔になるからです。見た目が大事といいますが、本当ですよ。