令和5年11月15日
最後に私の祖母の話をしたいと思います。私は母が体が弱かったため、何かとおばあちゃん子として育てられました。祖母は仏壇での毎日のおつとめはもちろん、お寺参りにも熱心でした。お葬式を予測するのが得意で、それがよく〝当たって〟いたのを思い出します。また私が28日に生まれたことから、よく「お不動さんの日を忘れてはいけないよ」と言い聞かされたものです。そして、不動尊が菩提寺の本尊でもあったことから、手を引かれてお参りしたものでした。
私が小学校2年生のことでした。ある日、祖母は嫁いだ長女の息子さん、つまり私の従弟が運転する車に乗って、宇都宮に向かっていました。当時の郷里には舗装道路などなく、しかも急カーブの多い悪路続きです。その場所も急カーブでしたが、10メートルもの断崖を眼下にした危険地域だったのです。もちろん、ガードレールなどありません。
かなりスピードを出していたのでしょう。路面の大きなくぼみを避けようとしたとたん、タイヤが横すべりをおこして、断崖に転落しました。対向車はなく、静寂を破った大事故でした。従弟はほとんど意識を失っていました。メガネのレンズも割れて顔に刺さり、血だらけになっていたといいます。
ところが祖母はかすり傷ひとつなく、断崖をよじ登って通行の車に助けを求めました。従弟は病院に運ばれ、一命を取り留めました。私は祖母からこの体験を何度も聞かされ、いざという時には仏さまが守ってくださるという意識をうえつけられたのです。祖母が語ったことは、その時、自分の体が綿のようなものでつつまれたということでした。仏壇に合掌しながら、御礼の言葉をくり返していました。私は後年、その場所を何度か通りましたが、とても無事ですむ断崖とは思えません。潜在光景としていまだに焼きついています。遠くて、とても近い記憶です。