徳川家が現在まで続いた秘密

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信仰

令和7年4月27日

 

徳川家康は熱心な浄土教(念仏)の信者でした。彼の旗印である「厭離穢土えんりえど 欣求浄土ごんぐじょうど」とは、けがれたこの世から離れ、喜んで仏の浄土を求めようという意味です。武田信玄の「風林火山」や上杉謙信の「毘(毘沙門天)」のように、兵の士気を鼓舞するものではありません。当時としては、異例の旗印です。

彼は関ケ原や大坂冬・夏の陣での戦死者を、敵味方の区別なく手あつくほうむり、供養をしました。あの時代に、並みの武将にできることではありません。そして、晩年には念仏三昧を日課として、「南無阿弥陀仏」の名号を連書しました(写真)。

徳川家が十五代にもわたって将軍家を存続させ、明治維新を経て現代までも子孫を絶やさぬ秘密は、家康のこの篤い信仰心にあったのです。この信仰心なくして陰徳いんとく(世間に知られない本来の功徳)は積めません。

私たちもせめて父母の家だけでも供養に励み、ささやかな功徳を積みたいものです。菩提寺や仏壇がなくとも先祖供養はしたいとお考えの方は、ぜひご相談ください。

山路天酬密教私塾

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