令和元年8月22日
たとえば初めてメガネをかけた時、本人もまわりの人も、何となくぎこちなさを感じるものです。ところが二、三ヶ月もすると、とてもメガネが似合うようになります。つまり、メガネ用の顔になって来るのです。
これはなぜなのかと言いますと、「自分はメガネが必要になった」という意識に、自分の体が反応したからなのです。メガネをかけた姿を鏡に写しているうちに、「もうメガネは手放せない」という自覚になり、それが体に反応したということなのです。
このことは、ほかにも思い当たる例がいくつもあります。
僧侶になる儀式を得度式といいますが、私はその得度式のお導師(戒師)を何度も勤めました。ういういしい姿で髪をそり、初めて墨染の衣や袈裟を着用した時は、何となくサマになりません。ところが、その後に本尊への礼拝を何度もくり返し、正座をして読経をくり返していくうちに、どことなく僧侶らしくなって来るのです。その物腰に僧侶らしい威厳が現れて来るのです。これも、自分は僧侶であるという覚悟が、全身に反応するからです。
また、デビュー当時はアカぬけしなかった女優さんががスターになると、まるで一変します。まず、目の輝きも、全身の輝きも違って来ます。そしてステージや画面に映る姿にも、いかにもスターであるという貫禄が備わって来ます。自分は人気のスターなのだという自信が、このように変身させるのです。
こうした現象は、眼に見えない心のあり方が、眼に見える姿といかに直結しているかの証明にほかなりません。「はじめに心あり」なのです。はじめに心があり、心が言葉や行動を変え、心が人生を変えるのです。
何をするにも、まずは心が大切です。心に真剣さがなくては、何も始まりません。何も進みません。心が変われば言葉が変わるのです。言葉が変われば行動が変わるのです。そして、行動が変われば人生が変わるのです。