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人生
令和元年6月24日
忘れることは、偉大な救いです。
まず、高齢になると物忘れがひどくなります。しかし、何十年も駆使した脳が退化するのはあたりまえで、やむを得ぬことです。それでも、私はあえて断言しましょう。高齢になって物忘れがひどくなるのは、あの世へ往く準備をしているのです。あの世へ往っても、この世に残した財産がどうの、やり残した仕事がどうの、憎い嫁さんがどうの(失礼!)では、未練を断ち切れません。だから、いよいよの時が来たら、この世の執着は断ち切ることが大事で、これは偉大な救いなのです。これが、まずひとつ。
次に、高齢にならずとも、私たちは忘れることがなかったら、どうなりますでしょうか。イヤなことの抑圧に、身も心もボロボロになるはずです。イヤなことは時間と共に忘れる、あるいは忘れたようなフリをすることが肝要です。だから、時間こそは、時間が過ぎ去ることは、偉大な救いなのです。まさに、過去とは「過ちが去る」ことなのです。特にストレス社会の今日、居酒屋やカラオケで憂さをはらしても、忘れることが出来なくてはこの身が持ちません。少なくとも、忘れたようなフリをしましょう。
私たちは忘れることで、心のメンテをしています。忘れることは、偉大な救いです。そうでしょう。