中秋名月

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文化

令和2年10月1日

 

今夜は中秋名月で、これほどきれいな満月を観るのも久しぶりです。さっきから何度も庭に出て、満月にむかってグラスをかかげ、乾杯(ただしノンアルコール)をしました。あさか大師の桜並木から写真を撮りましたが、「こんなカメラで申し訳ありません」と謝ったくらいです(写真)。

現代人はもちろん、月にはウサギがいてもちをついているなどと思っている人はいません。ススキや団子だんごを供える方も少なくなったことでしょう。観測データも進んで、一般の方でもかなりの知識を持っています。月面は昼の正午の温度が110度、夜はマイナス170度です。昼にウサギがいても丸焼けになりますし、夜なら凍結とうけつして餅つきどころではありません。

ところが現代の幼稚園や保育園でも、月見の由来を子供さんたちにお話し、月見団子を作ってススキと共にお供えします。家に持ち帰れば、窓際まどぎわやベランダにお供えするかも知れません。日本人はそれほど、月見というものを大事にしているのです。平安時代は秋の収穫を感謝して里芋や豆類をお供えしましたが、それが月の形をした丸い団子になったのです。

いつも思うのですが、今日は旧暦の八月十五日で、つまり〝十五日の夜〟なのです。〈十五夜〉が十五日の夜にならない今の新暦は、どう考えも日本人の風習に合いません。〈新春〉とはいいながら、新暦の元旦では春のきざしもありません。七草だって生えません。三月三日といっても、新暦では桃の花など咲きません。今の桃の花は温室で育てられたものです。七月七日の七夕も、新暦ではまだ梅雨も明けません。だから、天の川など見えません。

日本人は旧暦によって、その文化を維持して来ました。真言密教で日の吉凶を調べる『宿曜経』も、旧暦を用います。旧暦の毎月一日から次の月が始まりますので、これを「月が立つ」という意味で〈月立つきたち〉と呼び、〈ついたち〉へと変じました。同じように終りの三十日を「月隠つきこもり」と呼び、〈つごもり〉へと変じました。美しい日本語です。

そして、明日の十六日の夜が〈十六夜いざよい〉です。今夜の満月に比べると、輪郭りんかくがゆるみ、はにかみ、ためらいがちに現われます。明後日の十七日の夜が〈立待月たちまちづき〉です。月がまるで躊躇ちゅうちょしていたかのように忽然こつぜんと現れる様子を、立ちながら待つのです。たった一つの月を、これほどいとおしむ国はありません。美しい日本語です。

山路天酬密教私塾

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